2014年4月05日(土)〜2014年6月22日(日)

殿様は、すごい本を出していた

-板倉重矩の知られざる出版活動とその影響-

 西尾市貝吹町にある長圓寺(曹洞宗)を菩提寺とする板倉家は、勝重・重宗・重矩と三代にわたり京都所司代という重職をつとめ、江戸時代初期の半世紀以上にわたって京都の治世を担った譜代大名の家柄です。
 平成22年度より始まった長圓寺文化財総合調査において、板倉重矩が知られざる出版活動を行っていたことが判明し、また、重矩刊行の書籍が江戸時代の各分野で重要な基礎文献となり、後世に大きな影響を与えていることもわかりました。
 今回の展示は、京都所司代板倉重矩の知られざる出版活動の思想とその影響を概観するとともに、長圓寺が所蔵する貴重な典籍もご紹介します。

監修 湯谷祐三(愛知県立大学講師・長圓寺文化財総合調査典籍部門調査員

会期
2014年4月05日(土)〜2014年6月22日(日)
料金
入場無料
展示解説
4月19日(土)
特別講座
5月17日(土)「板倉重矩の知られざる出版活動」
湯谷祐三氏(長圓寺文化財総合調査調査員)
体験講座
6月7日(土)和装本をつくってみよう

※本展の出品資料は長圓寺所蔵品と西尾市岩瀬文庫所蔵品で構成されています。

板倉家と京都所司代板倉重矩

 板倉家は、勝重・重宗の二代にわたり半世紀以上京都所司代を務めたことから、市中の行政を円滑に進めるための知識が集積し、それらが『板倉政要』などに記録されたと考えられます。期間は短いものの、その後を襲った重矩もやはり治世に有益な知識を求めていたことでしょう。
 ところで、重矩若き日の島原の乱における父重昌の戦死の模様や、重矩自身の負傷の様子については、重矩が隻眼となったことなど、展示のように新たな情報が判明しました。
 また、その死後には様々な文人が追悼文を寄せており、多彩な文化人と交遊を重ねていたことがわかります。

板倉重矩(1617~1673) 


板倉重昌の嫡子。寛永14年(1637)21歳の時、父重昌と共に島原の乱鎮圧に従軍し、父の戦死を目の当たりにする。万治3年(1660)大坂御城番となる。寛文5年(1665)49歳にして老中に抜擢される。寛文8年5月、京都所司代に任命される。同10年11月、老中として江戸に帰任。同12年、下野烏山城主となり、五万石を拝領。同13年5月29日、57歳で逝去。

祖父勝重は20年、伯父重宗は35年の長きにわたって京都所司代を務めた。重矩自身の所司代在任は2年半と短いものであったが、鴨川の寛文新堤の築造や困窮民対策、京都町奉行所の創設、朝幕関係の緊密化、そして今回紹介する出版活動など、京都における活動は多岐にわたる。



本企画展図録のご紹介

A4 23ページ 115g 500円
完売いたしました。