2006年1月21日(土)〜2006年4月02日(日)

こんな本があった!3

~岩瀬文庫平成悉皆調査中間報告展3~

会期
2006年1月21日(土)〜2006年4月02日(日)
料金
入場無料
展示解説
2月18日(土)
特別講座
3月4日(日)
「今年度の調査からわかったこと Vol.3」
塩村 耕氏(名古屋大学大学院教授/岩瀬文庫資料調査会会長)
体験講座
1月28日(土) 和装本をつくってみよう

はじめに〉 近代日本の『華氏451度』

(監修・開設 悉皆調査責任者 名古屋大学大学院研究科教授 塩村耕)




 米国の作家レイ・ブラッドベリが1953年に発表した近未来小説『華氏451度』(*)は、いま読んでみると恐ろしい世界が描かれています。その時代には書物を読むことも諸事することも禁止されており、主人公は防火服に身を包んだ消防士(ファイアマン)ならぬ焚書官(ファイアマン)で、密告によって本の所蔵者を捜し出しては、書物にじゃぶじゃぶ石油をかけて家ごと焼いてしまうのです。人々は双方向型の大型テレビに夢中になり、耳には二六時中、小型ラジオ〈海の貝〉を詰め込み、情報を与えられ続けており、本を読まなくとも幸福を感じている状態。異動は安全で高速の車を吹っ飛ばし、外の自然や路端の草花に目をやる者は誰もいません。そう、液晶大画面テレビ、パソコン、携帯、モバイルオーディオなどを次々与えられて喜んでいる現代人には少々耳の痛い状況が予言されているのです。物語はその主人公が、道で出会った美しい少女との会話をきっかけに書物に目覚めるという内容で、当時の言論統制を諷刺しつつ、人間にとって書物とは何かを問いかけています。
 さて、明治以降の日本は、ある意味で『華氏451度』の世界を実現したと言うことが出来ます。なぜならば、変体仮名や草書体表記を捨てたために、江戸時代までの文献は縁遠い存在となり、つまり過去の書物を排除することに見事に成功したからです。その結果、あたかも中央集権の国家が太古より永続するかのように装うことが可能となりました。それだけでなく、人々は写本を作らなくなり、それまであった豊かな写本文化も消え失せました。その結果、書物は専門家のみが作るものとなり、そのことが言論統制を容易にしたことは言うまでもありません。そして、1945年に未曾有の災厄がもたらされ、日本各地で文字通り『華氏451度』そのままの地獄図が現出されました。
 そのような大きな流れに敢えて背を向けて、ここ西尾の地に孤塁を守り続けた岩瀬文庫の姿は美しく偉大です。いまこそ多くの人々が言わせ文庫に足を踏み入れ、日本の伝統的な、豊かな書物文化に直接触れていただくよう切望します。
 悉皆調査は全体の約6割に達しました。文庫を保存し続けて下さった西尾市民への感謝をこめつつ、今年も中間報告展を催します。

※標題の華氏451度とは、紙つまり書物が発火する温度を意味します。邦訳はハヤカワ文庫、1967年に公開された映画もあり(DVDあり)、ともにおすすめです。なお、昨年ヒットしたマイケル・ムーア監督の諷刺映画『華氏911』は、本作への敬意を表したタイトルだそうです。




Ⅰ.【特集】ちょっと珍しい旅行記

 明治になって急速に中央集権化が推し進められる中で、永遠にうしなわれようとしている封建の記憶を、岩瀬弥助は何とか文庫にとどめようとしました。岩瀬文庫には、さまざまな地方について記された地誌や紀行文が特に手厚く集められており、珍しいものも少なくありませんが、それは偶然ではなく、そのような危機意識と関係があるのでしょう。

[1]『誘ふひはり』(85函80号) 写半全3巻合1冊
 美濃派俳人による紀行句集。
[2]『城崎温泉紀行』(101函184号) 写大1冊
 著者尹隆は伝不詳、京の富人らしい。驚くべき健脚ぶり。
[3]『懐橘談』(48函57号) 写大全2巻2冊
 近世前期の紀行文。出雲にからめて語られる初期歌舞伎に関する記事が貴重。
[4]『附驥日記』(63函ニ52号) 写大1冊
 著者は佐賀の人で、江戸に出て幕府儒官古賀精里に入門した俊秀、草場佩川。
[5]『東遊記行』(4函74号) 写大1冊
 酒と詩を愛する風流人の松島紀行。
[6]『身延山紀行』(15函イ68号) 写半全2巻合1冊
 狂歌好きの大阪町人の一人旅。
[7]『伊勢国之記』(100函103号) 写大1冊
 82歳の元気老人の参宮日記。
[8]『熊野遊記・熊野名勝図画』(98函60号) 版大全3巻3冊
 江戸の大書肆、須原屋茂兵衛による熊野紀行。
[9]『筑紫紀行』(18函44号) 版半全10巻10冊
 名古屋の富裕な隠居の九州紀行。版本であるのが珍しい。
[10]『浪花講定宿帳』(101函12号) 版半三ツ切(長帳綴)1冊
 浪華講の優良旅館一覧。会員証の鑑札を添えるのが珍。
[11]『遊躑躅園小記』(92函42号) 写半1冊
 明治の小旅行。「輪声、雷ノ如ク、蒸烟、雲ニ似タリ」と汽車の描写が珍しげ。
[12]『飯湯鉱泉誌』(78函89号) 写半1冊
 飯坂温泉・湯野温泉の詳細な案内記。
[13]『漫遊記程』(52函159号) 版半全3巻3冊
 明治初年の世界周遊旅行記。


『身延山紀行』

『浪花講定宿帳』


Ⅱ.【小特集1】明治の面白い人

 岩瀬文庫には明治の資料も数多くあり、江戸時代の空気を吸って育った興味深い人々の存在について教えてくれます。良い記述描写を残してくれた3人の明治人を取り上げます。

①増山守正(ますやまもりまさ) 医者・著述家。称復五郎のち復定。号静香園・丹蓉。丹後田辺藩士増山正修の五男。文政10年生。藩校の授読を経て江戸・京に遊学。慶応3年綾部侯に招かれ家臣となる。維新後、京都府・文部省に出仕、帝国博物館書記等に任ずる。『旧習一新』『〈色情克己〉女郎買の用心』『人体問答要略』『笑話無尽蔵』『静香園詩文雑稿』等著書多数。遺語に「虎は死して皮を遺し、人は死して名を遺す。須く著作を後世に遺すべし」と。明治34年9月2日没、75歳。子の高田畊安は茅ヶ崎の結核療養所南湖院の創立者。
[14]『京都繁栄記』(22函41号) 版大1冊
 明治京都の新風俗を活写した絵入り地誌。
[参考出品]『東京名勝画詞』『続東京名勝画詞』『〈補遺〉東京名勝画詞』(35函51号)
 明治20・23・24年刊。東京の名所絵本。

②西田春耕(にしだしゅんこう) 南画家。名峻、字子徳、称俊蔵。初号西圃。幕閣久須美佐渡守祐雋の家臣西田良右衛門高厚の季子。弘化2年生。魚住荊石・高久隆古・山本琴谷に師事、福田半香の塾幹となる。半香没後、北越に赴き藍沢南城に漢学を学び、2年後江戸に帰り独立。代表作は五百大阿羅漢図(豊川妙厳寺蔵)・人生快楽十二図(安田松翁蔵)・耶蘇昇天図(澳国公使蔵)・電気神女図(前島男爵蔵)。酒と豆腐を嗜み、還暦を迎え腐翁と改号する。少壮より俳句を好み、句集『空尊集』あり。明治43年9月10日没66歳。
[15]『口嗜小史』(124函124号) 半(縦長)2巻附録1巻2冊
 諸友一百十餘人の食の嗜好に関する逸話を集録。
[参考出品]『春耕印影』(107函17号)
 明治43年序刊。西田春耕所用印の原鈐印譜。

③細川十洲(ほそかわじっしゅう) 法制学者。名元、称潤次郎。土佐藩儒細川延平の次男。天保5年生。安政元年、長崎に遊学して蘭学を学び、江戸に出て海軍繰練所で航海術を修める。維新後、開成学校判事・印刷局長・法制官・司法大輔等に歴任、法制整備に尽力する。女子高等師範学校長・『古事類苑』編纂総裁等をも勤め、学問教育にも活躍する。大正12年7月20日没、90歳。
[16]『なゝしくさ』(103函142号) 版半(縦長)全2巻2冊
 土佐藩士の逸話や長崎に遊学中の体験等、自らの見聞に基づく味のある話あり。


『京都繁栄記』

『口嗜小史』




Ⅲ.【小特集2】職原抄

 南朝に仕えた北畠親房の編。官職に関する有職故実の基本書として盛んに書写・刊行された書物です。岩瀬文庫に数ある『職原抄』の中に、不思議な縁でつながれた2書がありました。

[17]『職原鈔』(165函128号) 版大全2巻2冊
 近世中後期の好古考証学者、藤井貞幹が古写本『百官』との異同を自ら書き入れた本。
[18]『百官』(13函158号) 写大1冊
 藤井貞幹が書写した古写本『百官』を読書室の山本榕室が転写した本。
[参考出品]『職原鈔』(103函165号)
 寛文2(1662)年版本を文政13(1830)年に公家の柳原光愛([28]参照)、時に13歳が書写した本。


『職原鈔』

『百官』




Ⅳ.【小特集3】子ども

 江戸時代に学ぶべきことの一つは、子ども文化の豊かさと、それを見守る大人たちの暖かいまなざしです。そのような子ども観が以下のような貴重な資料を残してくれました。

[19]『幼稚遊昔雛形』(102函78号) 版中全3巻3冊仮合綴(原表紙存)1冊
 江戸の子ども遊びを網羅した百科全書のような絵本。
[20]『さとし草うひ山口』(4函80号) 版大1冊
 固い内容の教訓書ながら、子ども遊びの絵と詞が貴重。
[21]『〈古今百風〉吾妻餘波 壹編』(81函19号) 版半1冊
 明治に出た江戸の風俗図解書。
[22]『桃仙詩稿』(109函33号) 版大1冊
 12歳の天才少女の漢詩集。江戸時代には神童が喜ばれた。
[21]『桃郎伝』(77函83号) 版半1冊
 10歳の天才少年が昔話を漢文に訳したもの。


『さとし草うひ山口』

『〈古今百風〉吾妻餘波 壹編』




Ⅴ.珍資料と妙な本

 今年も珍書や心ひかれる書物たちを紹介しましょう。悉皆調査ならでは得られない書物との出会いです。

[24]『礫渓猿馬記』(100函62号) 版大1冊
 自らを微小化して庭園をめぐる空想的紀行文。一身田高田専修寺門跡が著した奇書。
[25]『青柳家事変録』(96函133号) 写半1冊
 三河国某藩主青柳家の殿中刃傷・御家騒動もので、実説は謎。地名より見て三河人による著述か。
[26]『大徳寺墨蹟集』(43函ハ27号) 写大1冊
 大徳寺の住持が同寺関係墨跡類を鑑定した際の覚書原本。
[27]『金魚賦註』(110函2号) 版大1冊
 金魚に関する瀟洒な珍書。著者は伊丹の酒造家(剣菱)で、才麿門の俳人竹瓦楼蜂房として名高い。
[28]『異国犯我国古事』(100函32号) 写大1冊
 幕末の公家柳原光愛が蒙古来襲の記録を集めたもの。孝明天皇による攘夷御祈祷を諫めるための資料か。
[29]『関東へ御所望記録書目』(109函97号) 写中横1冊
 朝儀典礼の復興に熱意を傾けた桜町院が幕府に写本を所望した、禁裏に所蔵しない記録書の目録。
[30]『養生法』(101函118号) 版半全2巻2冊
 明治初年の名医の養生法解説。


『青柳家事変録』

『礫渓猿馬記』


本企画展図録のご紹介

A4 22ページ 110g 300円 残部僅少です
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