2017年2月04日(土)〜2017年4月16日(日)

こんな本があった!

~岩瀬文庫平成悉皆調査中間報告14~

 現在行っている岩瀬文庫蔵書の悉皆調査(全資料調査)の過程で出逢えた貴重な本、面白い本たちをご紹介する毎年度末恒例の中間報告展示 第14弾です。今回も岩瀬文庫ならではの味わい深い本を紹介するとともに、文庫の古典籍を通じて岩瀬弥助の実像にせまります。

会期
2017年2月04日(土)〜2017年4月16日(日)
展示解説
4月8日(土) 午後1時30分~
岩瀬文庫企画展示室
特別講座
3月12日(日)午後1時30分~
「今年度の調査からわかったこと Vol.14」
講師:塩村耕氏(名古屋大学教授/岩瀬文庫資料調査会会長)
会場:岩瀬文庫地階研修ホール
連続講座
2月26日(日)午後1時30分~
第2回「国宝金蓮寺弥陀堂の建築」
講師:藤井恵介氏(東京大学教授)
会場:岩瀬文庫地階研修ホール

はじめに

2000年6月に開始した岩瀬文庫の平成悉皆調査も、ようやく最終局面を迎えました。調査を始めた頃は、創設者である岩瀬弥助が、どうしてこんな巨大な文庫を作ろうとしたのか、まったくわかっていませんでしたが、やはり文庫の中の書物こそが多くのことを教えてくれるもので、今ではだいぶん明らかになりました。
 そのようにしてわかってきた岩瀬文庫のルーツや文庫にかけた弥助の思いのほかに、逸話やゆかりの地などを紹介した小冊子を昨年12月に編集刊行しました。題して『三河に岩瀬文庫あり―図書館の原点を考える』(風媒社刊)。
 弥助たちの築き上げてくれた三河の地の良き文化風土とは、古人との交信を重視し、同時にそれを市民と共有しようとする態度です。死者の人権を軽視する現世中心主義や、過度な個人主義のはびこる世の中にあって、岩瀬文庫の存在はひときわ燦然と輝いています。
 この「こんな本」展でも、新たにわかった弥助の横顔について、関連する資料や文庫の蔵書とともに紹介しようと思います。
 今年は岩瀬弥助の生誕150年です。


平成29年2月吉日           悉皆調査責任者
                   名古屋大学文学研究科(日本文学)
                   塩村 耕(しおむら こう)




Ⅰ.〈特集〉生誕150年 岩瀬弥助の横顔

 明治41年に私設図書館として岩瀬文庫を創立した岩瀬弥助(1867~1930)は、自分を語ることにひどく禁欲的な人でした。これまであまり知られていない周辺資料を通して、文庫創設者の横顔をうかがおうと思います。




①書籍蒐集家としての風貌

 岩瀬文庫草創期に各地の古書店が岩瀬弥助によこした書簡が17通出現しました。岩瀬文庫の大量の古書を、いったいどのようにして、弥助は集めたのでしょうか。
※なお、明治末年の1円は、おおよそ現代の1万円に相当します。

[1]明治41年1月(推定)17日付、其中堂(倅)書簡(岩瀬弥助宛)
  名古屋門前町にあった大古書店。余白部分に弥助の返信のメモがある。値引きを手加減する代わりに、かねて希望の『米庵墨談』自筆稿本を30円で譲るように申し入れている。
[2]『米庵墨談』(申函13号) 江戸の書家・市川米庵による書道論書
[3]明治39年12月24日付、鹿田松雲堂ハガキ(岩瀬弥助宛)
  文庫開設を前にいよいよ本格的に古書を購入しはじめた。このときの買い物は400円以上だった。
[4]明治40年1月11日付、鹿田松雲堂(岩瀬弥助宛)
  [3]の書籍代金404円56銭を受け取ったが、不足分を送るように要求している。不足分は合計金額の5%に相当する。自ら差し引いて送金していたことがわかる。
[5]大正5年1月30日付、鹿田松雲堂書簡(岩瀬弥助宛)
  大阪の歌舞伎役者・西沢一鳳の随筆『伝奇作書』を売り込む内容。大阪にとって貴重な資料だが、弥助に売り込んでいる。良い蔵書の形成には古書店の協力が不可欠である。
[6]『伝記作書』(申函18号) 歌舞伎浄瑠璃に関する知識を随筆的に集めた書
[7]『松山智堂之書』(72函35号) 西尾藩の飛地であった越前天王村の文人、松山智堂筆の肉筆手本。松雲堂が岩瀬文庫に寄贈した。
[8]明治42年6月18日付、佐々木竹苞楼書簡(岩瀬弥助宛)
  江戸時代より現在まで続く老舗中の老舗。いずれも東福寺塔頭善慧軒を開創した彭叔守仙の旧蔵本である貴重書2点を売り込む内容。詳しく価値を説明して熱心に勧めており、弥助は即座に申出に応じた。
[9]『増刊校正王状元集註分類東坡先生詩』(141函94号)
[10]『周易伝義附録』(卯函48号)


明治42年6月18日付、佐々木竹苞楼書簡(岩瀬弥助宛)

明治42年6月18日付、佐々木竹苞楼書簡(岩瀬弥助宛)

書簡本文 (前略)ついては就而者、今般左記珍籍手ニ入り申候ニ付、とりあえず不取敢御報知申上候。御思召これあり有之そうらえば候得者、御註文仰付られ度、併し珍書の事とて迚、御用命迄ニ売切申哉もはかりがたく難斗、それだ夫丈けは者一寸予め御断り申上置候。/記/一、金貳百七拾円 『蘇玉堂詩』 全廿六冊/朝鮮古代銅活字板(中略)右書は文録(文禄)征韓の役に分捕せし活字本の原本かと被存候。先年名古屋其中堂主人渡韓の節、持帰り候『文献通考』の派本(端本)一冊に而も珍らしく、殊に今回の分は全備品に付、余程珍籍と存候。(中略)/一、金百貳拾円 〈元槧本〉『周易伝義』 全九冊(中略)善慧軒旧蔵本ニシテ蔵印アリ。朱点及書入、五山ノ僧元棣。(中略)右今般買入品中の白眉品に付、兎ニ角御知らせ仕候(下略)


『増刊校正王状元集註分類東坡先生詩』

『周易伝義附録』




②読書人としての風貌

 少年時代より読書を好んだと伝えられる岩瀬弥助ですが、ほとんど何も書き残していないために、読書家としての実態は不明でした。唯一残されているのが、晩年の読書ノートである『当用日記』1冊です。弥助はどんな本のどんな記事を読んでいたのでしょうか。

[11]『当用日記』 当用日記を流用して記された、晩年の岩瀬弥助の読書ノート。いくつかの蔵書から気になる記事を拾っています。なかには、自宅の近所にある須田の薬師堂で行われる千体仏供養についての弥助の遺文ものこっている。
[12]『商人尽狂歌合』(165函102号)
   江戸の好事家、石塚豊芥子が当時の大道商人などを取り上げ、狂歌合の絵本に仕立てたもの。ここから稲荷寿司について記事を拾っている。
[13]『山陰落栗』(173函78号)
   旧・伊勢津藩藩士で海軍軍人である柳楢悦の17回忌に遺稿を校訂刊行したもの。旅をした国々で食べた飲食物について記し、鮎の鮨について拾っている。
[14]『集古』(153函126号)
   好古趣味の同好会である東京の集古会の機関誌。弥助は57才の大正12年に横尾勇之助(東京黒角町の古書店、文行堂)の紹介で入会している。
[15]『日本藝林叢書』(177函61号)
   江戸時代後期の伊勢藩儒・津阪東陽の漢文随筆を収録し、そこから記事を拾っている。
[16]『幡豆郡知名鑑』(151函3号)
   大正14年、西尾の地方新聞・尾三新聞が刊行した西尾を中心とした幡豆郡の名士録。全203名を紹介。寸評に「中々」の表現が多いのをからかっている。


『当用日記』

『商人尽狂歌合』

記事 稲荷寿し 18839商人尽狂歌合/天保年中飢饉の時初り大に流行。/一本が十六文、半分が八文、一ト切四文。




『幡豆郡知名鑑』

記事 幡豆郡知名鑑、各伝中、中中の文字、中々多し。勘定するも中々の骨折なり。/中々の文字、合計一三八句 登才人員二〇三名/一人の伝ニ二句使用 二三人/〃三句〃 五人




Ⅱ.続出する珍奇本

次々と出現する珍奇本の数々を、今年もお楽しみ下さい。

[17]『海幸』(168函158号)
   江戸の市場で見られる魚介類を写実的に描いた絵本に発句集を配した絵俳書。ごく稀少な初版本。
[18]『掃墓餘談』(166函55号)
   名家の墓石を探訪する趣味を掃苔という。掃苔家・絵馬屋額輔の自筆稿本で、主に江戸の狂歌師の墓所を探索する際の苦心譚を集めた随筆。
[19]『〈東都名家〉佳城墨集集』(子函402号)
   東京周辺にある名家の墓碑類の拓本を貼り込んだ帖。
[20]『古今辞世集』(166函109号)
   幕末明治に小寺玉晁が著した、名古屋周辺にある墓石類に彫られた有名無人の人の辞世を集めた書。
[21]『麻布善福寺日記』(申函6号)
   十四代将軍家茂の将軍宣下のため下向した近衛大納言忠房のために麻布善福寺が御馳走所となった。御馳走人を務めた新発田藩第十一代藩主・溝口直溥が、善福寺の居小屋に滞在中の日々を記した歌日記。
[22]『尾陽町尋記』(166函107号)
   名古屋城下の諸施設や町名などを記した地誌。殊に諸職人に関する資料が詳細。
[23]『東海道中五十三駅』(子函219号)
   東海道五十三次の宿場風景を描いた銅版画集。印影法と遠近法を駆使した洋画風の写生図。
[24]『福善斎画譜』・『趙子昴時苗留犢図模本』(申函2号)
   名古屋を代表する文人画家・福善斎庭嘉信が40才の天明元年に刊行した画譜。初版本の初刷りに著者自身が彩色を施した特別な本。
[25]『茶譜茶話聞書空也堂来由』(180函124号)
   茶人で篆刻家の前田了白の茶道や陶磁器に関する雑多な資料集。
[26]『備荒草木図』 
   飢饉の際、食料となる草木の絵図集。調理方法まで簡潔に注記した懇切な書。
[27]『木曽山中材木伐出絵図』(寅函42号11/19・12/19)
   木曽を支配した尾張藩の藩士が作成した、木曽山中で材木を伐採し、それを木曽川へ落として運び出す作業を描いた絵図。
[28]『東里遺稿』(168函38号)
   文人・中根東里の詩文集。「新瓦」は、引き取った姪の芳子(4才)が将来読むようにと書き残した漢文の随筆。
[参考]『東里外集』(168函38号)
   『遺稿』の補遺で、捜索発掘した東里の和文の雑文と和歌、書簡集を収める。
[29]『旗峯先生文録』(168函116号)
   大阪在住の儒者・牛尾旗峯の文集。その中に旗峯が若い頃、東里先生からかけられた言葉を回想する記述がある。
[30]『鎌倉三勝日記』(173函115号)
   文化11年5月、江戸在住の某藩藩士である著者が同僚2人とともに武蔵金沢・鎌倉・江の島を遊覧した旅日記。
[31]『射的極意伝授』(寅函104号)
   慶長18(1613)年に成った鉄炮の射撃術の伝書。蝶やトンボまで的にしている。


『海幸』

『掃墓餘談』




『尾陽町尋記』

『東里遺稿』




『木曽山中材木伐出絵図』




『射的極意伝授』


本企画展図録のご紹介

A4 24ページ 110g 500円
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