雛遊貝合の記

ひいなあそびかいあわせのき122-1692冊

 寛延2(1749)年に渡会直方(わたらいなおかた)が記した本書は、雛遊び、七夕遊び、貝合せ、歌がるたといった女の子の代表的な遊びの由来を解説し、その教訓を説く、子女向けの啓蒙書です。



 これによると、三月三日のひなまつりの起源としては、聖徳太子創始説、中国の仙人・東王公像起源説などがあるものの、直方はこの二つを信頼できない説とし、『日本書紀』崇神天皇の代の記事中にある「比賈那素寐」の語を、「ひめなそび(=ひいなあそび)」と解釈する『釈日本紀』の説に従って、雛遊びは神代まで遡るものだと述べています。

 また、『日本書紀』『万葉集』『源氏物語』『枕草子』などの記事から①「天児(あまがつ)」、「這子(ほうこ)」、「撫物(なでもの)」といった、人形の自分の災厄や罪を移したり、海に流したりして祓う風習、②小さな薬祖神「少彦名命(すくなひこなのみのこと)」の像、④宮中で三月初めの巳の日(上巳/じょうし)に行われた曲水の宴(きょくすいのえん)、③平安貴族の子女の人形遊び(「ひいな遊び」)などを挙げ、ひな祭りは、子供が人形で遊びながらその身の災いを除き、同時に将来むつまじい夫婦となるため、女の役割を学ぶためのもの、としています。

 さらには直方は、本来「雛」は「小さい」の意味であり、雛人形はそのモデルとなった少彦名命の小さな姿にちなんで小さく作るのが正しいのであって、昨今のように見栄をはって大きく作りたがる風潮はおかしいことだ、と嘆き、また、雛祭りは神代に遡る神事であるので、決して女子の戯れと疎かにせず、謹んで祭るべきである、と説いています。


江戸時代のひなまつりのようす