2011年9月03日(土)〜2011年11月13日(日)

日本人とくじら

~岩瀬文庫資料に見るくじらとの関わり~

 日本は周囲を海に囲まれています。そのため、様々な恵みを海から享受してきました。その中でも、最大かつ最強のもののひとつが「くじら」です。
 日本の近海はかつては鯨の一大漁場となっていました。
 縄文時代以来、日本人は鯨を捕り、鯨を用い、食してきました。室町時代には貴重な食材として公家に献上されることもありました。その後16世紀終わりごろになると突取捕鯨を職業として行う集団が出現します。それは江戸時代に入ると太地や土佐、西海地方などで「鯨組」という捕鯨専業組織の成立に結びつき、産業としての捕鯨が確立していきます。そこには太地でうまれた網掛突取捕鯨法が大きな役割を果たすこととなります。そして、明治以降、欧米の捕鯨の影響によるノルウェー式銃殺捕鯨の導入による近代化によりさらにその姿を大きく変えていくことになります。
 今回の展示では、江戸時代を中心に日本人と鯨とのかかわりを岩瀬文庫が所蔵する捕鯨資料を始め様々な資料から見つめてみたいと思います。

会期
2011年9月03日(土)〜2011年11月13日(日)
料金
入場無料
展示解説
9月17日(土)・10月22日(土)
連続講座
10月15日(土)史料から歴史の謎を読み解く2011
第2回「穂国造と三河伴氏-西尾の古代を探る―」
荒木敏夫氏(専修大学教授)

くじらを捕る

日本の捕鯨文化
鯨を利用することは縄文時代以来行われていました。しかし、その頃の捕鯨は寄り鯨や流れ鯨を捕るというものでした。16世紀の終わりごろ元亀年間に伊勢湾での組織的な突取捕鯨が生まれ(初期捕鯨時代)、それが紀州を経て、各地に伝播し捕鯨を専門に行う組織(鯨組)が登場し、そこから取ることのできる油や肉、製品を広域に流通させる産業としての捕鯨業が確立します。本格化するのは太地で突取捕鯨から網掛突取捕鯨が生まれる延宝3年 (1675)であるといわれ、その後各地での捕鯨へと広がることとなります(古式捕鯨時代)。岩瀬文庫の資料ではその主たる捕鯨基地であった西海地方、紀州地方、土佐地方での捕鯨の様子を記した資料を紹介します。

●西海の捕鯨
 日本の西端、生月島や小川島といったところでは、江戸時代には盛んに捕鯨が行われます。捕鯨については紀州から壱岐、そして生月や小川島などに伝わったとされており、良好な漁場を背景に、それぞれの藩(平戸藩・唐津藩)の庇護もあり江戸時代には大変繁栄します。
『鯨図』(寅-30)・『勇魚取絵詞』(寅-18)・『小河嶋鯨鯢合戦』(92-107)・『西遊旅譚』(99-57)

●紀州・熊野の捕鯨
 紀州・熊野には、太地、古座などの浦で捕鯨が行われていました。そのなかでも尾張の突取捕鯨が伝わった後、太地浦の和田頼治(後の太地角右衛門)によって延宝3年(1675)、この突取捕鯨からいち早く網掛突取捕鯨が開発されます。これはその後各地の捕鯨地へ伝わり、一部を除き明治まではこの捕鯨法が主流となるなど、太地は捕鯨業先進地となりました。
『鯨志』(33-27)・『熊野物産初志』(45-35)・『日本永代蔵』(63-44)・『名物浪花のながめ』(110-119)・『日本山海名物図会』(16-29)・『見聞随筆』(136-54)・『九淵遺珠』(30-48) 

●土佐の捕鯨
 土佐では、寛永年間ごろ津呂(現高知県室戸市)で多田五郎右衛門が鯨組を始めたといわれています。続き、慶安4年(1651)尾張の尾池四郎右衛門が鯨組を組織し突取法で捕鯨に従事しますが、一旦衰退します。その後、天和3年 (1683)に太地からの捕鯨技術を導入し「浮津組」「津呂組」を組織して捕鯨業を営んでいったといわれています。
『南路志』(102-200)


『鯨図』

『勇魚取絵詞』




『鯨志』

『小河嶋鯨鯢合戦』




『西遊旅譚』

『日本山海名物図会』




くじらを用いる

 鯨は『日本永代蔵』にも記されているように余すところなく使うことのできるものです。欧米人はもっぱら油を利用するために鯨を捕ってきました。しかし、日本人は油ももちろんですが、食用などすべてを余すところなく使ってきました。その一部を紹介しましょう。

●食する 
『本朝食鑑』(22-78)・『鯨肉調味方』(24-89)・『料理物語』(140-118)・『料理献立集』(119-383)
●油をとる
『鯨図』(鯨図並舟且道具)(121-49)・『除蝗録』(34-63)・『捕鯨図識』(96-31)
●骨を使う
『水産物製法』(82-15)


『鯨肉調味方』

『料理物語』



『除蝗録』




くじらを見つめる―描かれた鯨の姿―

 「鯨」と一言で言っても、その種類は多種にわたります。鯨はかつてはほ乳類ではなく魚類のひとつとして捉えられていました。古くから日本では六鯨といって、セミクジラ、ザトウクジラ、ナガスクジラ、コククジラ、いわし鯨、マッコウクジラについて描かれたものが多く見られます。

<展示資料>
『訓蒙図彙』(136-82)・『倭漢三才図会』(33-26)・『本草図説』(45-11)・『獣譜』(122-135)・『崎寓慢録』(97-17)・『占春斎魚品』(140-104)・『魚類集』(寅-20)


『本草図説』

『獣譜』



『占春斎魚品』




くじらとかかわる

 日本人は様々な形で鯨と関わってきました。例えば、身近な海に鯨が姿を見せるとか、漁を操業中に風水害などに出会い漂流するようなことがあって外国船に救助されるといったことも起こりました。特に意図するわけでもなくくじらとかかわったことが記録として残って語り継がれていきました。

●江戸の海に鯨現る
『太平間珍誌』(98-9)・『まめなぐさ』(96-155)・『明文間見聞』(76-67)・『机の塵』(103-153)
●外国の捕鯨を知る
『蕃談』(140-165)・『唐人阿蘭陀人説』(77-27)・『漁夫漂流始末記』(68-57)・『巴旦漂流記・墨夷送来漂人口書・墨夷漂流記』(37-148)・『九助並弥市漂流記』(37-167)


『まめなぐさ』

『机の塵』




『蕃談』

『漁夫漂流始末記』


本企画展図録のご紹介

A4 16ページ 100g 400円
完売いたしました。