2018年12月01日(土)〜2019年2月11日(月)

西尾にも来た! 頼山陽(らいさんよう)を知ってますか?

 頼山陽(1780~1832)は、江戸時代の代表的な漢詩人です。歴史書『日本外史(にほんがいし)』の著者であり、九州の名勝「耶馬渓(やばけい)」(大分県中津市)の探訪と命名から今年でちょうど200年となりました。
 文化十年(1813)、山陽は中部地方を旅し西尾まで足を伸ばしています。この時、豪商深谷家の庭園に滞在し、その感動を「又深居記(ゆうしんきょき)」に著しました。この庭園の存在はその後忘れられていましたが、西尾市塩町の宍戸整形外科医院にそのまま残されていることがこのたび判明しました。
 これらの事績を含め、本展では、岩瀬文庫の所蔵資料に個人蔵品も加えて、頼山陽の生涯とその交流、そして時代により変遷した山陽像を浮き彫りにします。
【監修】湯谷祐三(愛知県立大学講師)

会期
2018年12月01日(土)〜2019年2月11日(月)
料金
入場無料
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第1章 西尾にも来た! 細香(さいこう)にも惚れた ―文化十年の旅―

安永九年(1780)に儒学者頼春水の子として大坂に生まれた頼山陽は、広島藩儒となった父に伴い六歳より広島に居住した。幼時からその才能の片鱗を見せ、寛政九年(1797)よりおよそ一年間江戸へ遊学した後、寛政十二年(1800)二十一歳の時に脱藩を企て、屋敷の一室にまる三年間、足かけ四年にわたり幽閉された。山陽生涯の著作となる『日本外史』や『通議』『日本政記』などは、この幽閉中に既に構想されていた。廃嫡により幽閉を解かれた後は、文化六年(1809)から約一年間、備後神辺の菅茶山の廉塾を手伝い、文化八年(1811)より念願の京都に開塾した。しかし当初は収入に乏しく、やむなく地方を旅して揮毫により潤筆料を得るという、「旅猿」生活が続く。そうした文化十年(1813)、山陽は尾張・美濃・三河などを旅し、大垣では生涯の愛弟子となる江馬細香と出会い、また西尾深谷氏の又深居を訪問するのだった。

<展示資料>
「頼山陽肖像画」(パネル展示のみ)、『又深居記』、「江馬細香肖像画(「白鴎社集会図」)」(パネル展示のみ)、「江馬細香自賛墨竹図」など


「頼山陽肖像画」(パネル展示のみ) 提供元:広島県立歴史博物館(頼山陽史跡資料館)

「江馬細香自賛墨竹図」 (個人蔵)


『又深居記』 個人蔵


第2章 そして「耶馬渓(やばけい)」が生まれた ―文政元年九州の旅―

文化十三年(1816)二月に父春水を失った頼山陽は、以後足かけ三年間にわたって喪に服し、文政元年(1818)二月に広島に帰省して亡父三回忌を済ませた後、そのまま一年間に及ぶ九州横断の旅に出る。三月に下関の豪商広江殿峰宅に滞在中、同じく義父三回忌を終えて富士山登頂を目指す豊前中津正行寺の雲華上人と邂逅し、久闊を叙して東西に分かれる。山陽はその後、博多では儒侠と呼ばれた亀井南冥やその子昭陽、豪商松永花遁らの歓迎を受け、五月からの約三ヶ月間は長崎に滞在し、熊本・鹿児島を経て、十月には豊後竹田に旧知の田能村竹田を訪ね、また豊後日田では広瀬淡窓と初見を果たし、それぞれ親交を深めた。日田から中津正行寺を目指す山陽は、日田往還の山国川の渓谷美に魅了され、これを「耶馬渓」と名付け、無事富士山登頂から帰坊していた雲華と共に再び師走の山国川に遊ぶのであった。

<展示資料>
『耶馬渓図巻』(雲華本)、『耶馬渓図巻』(竹下本)、富岡鉄斎『耶馬渓図巻』、『耶馬渓勝景図』など


頼山陽『耶馬渓図巻』(雲華本)(複製)  個人蔵

頼山陽『耶馬渓図巻』(竹下本)(複製) 個人蔵

『耶馬渓勝景図』


第3章 頼山陽と愉快な仲間たち ―文政十年前後―

およそ一年間の九州旅行を終えて広島に戻った山陽は、その勢いのままに、今度は母梅颸(ばいし)を連れて上洛、京都奈良の名所をめぐった。文政二年(1819)の「耶馬渓図巻」の製作により、山陽の雅名は高まってゆき、文政五年(1822)には終の棲家となった水西荘(山紫水明処)に転宅する。洛中では篠崎小竹・小石元瑞・田能村竹田・浦上春琴・雲華上人に加え、しばしば上洛した江馬細香らと共に、連日のように雅交を繰り広げており、それを漢詩や絵画で残すのが常であった。一方で二十歳代から構想していた日本の歴史書は、『日本外史』として結実し、文政十年(1827)五月に元老中松平定信に献上する運びとなり、「二十年余年の精神出現」と山陽は喜ぶのであった。

<展示資料>
『茶説図譜』、「中林竹洞筆自賛墨菊図」、『玄々瓷印譜』、『聾米古瓷譜』、『日本外史』など。


『聾米古瓷譜』

『日本外史』


「中林竹洞筆自賛墨菊図」 個人蔵


第4章 頼山陽は日本の歴史と政治を生涯考え続けた ―天保三年逝去まで―

『日本外史』を松平定信に献上して以降、山陽は和漢の歴史をふまえた日本の行政の望ましいあり方についての論策や、日本の歴史事象に対する政治論的評価の考察に、残された時間を傾注した。前者は天保元年(1830)に『通議』として、後者は逝去の年の天保三年(1832)に『日本政記』として完成を見るが、天保三年(1832)六月の吐血以降も、山陽はこれらの改訂を継続しており、逝去の月である九月にも、『通議』に「内廷篇」を、『政記』に「南北朝正統論」稿を増補するなど、九月二十三日に逝去するまで熟考を止めることはなかった。山陽の死後、深い信頼関係にあった大塩平八郎が明らかにした天保元年(1830)の山陽書簡には、かつて山陽が大塩の「鋭進折れ易きを戒」めたことが記されており、後年天保八年(1837)の大塩の決起(大塩平八郎の乱)を予見するような内容となっていた。

<展示資料>
『月瀬記勝』、頼山陽自筆墨書七絶「通議関係」、「雲華筆墨蘭図」、『小竹斎詩鈔』、『通鑑綱目』(山陽自筆識語有り)など。


「雲華筆墨蘭図」 個人蔵

頼山陽自筆墨書七絶「通議関係」 個人蔵


小石元瑞旧蔵『通鑑綱目』(山陽自筆識語有り)


関連イベントなど


■岩瀬文庫講座
 「岩瀬文庫の頼山陽展 ―その見どころ 勘どころ―」
 日時/31年1月13日(日)午後2時~
 講師/湯谷祐三氏(愛知県立大学講師)
 場所/地階研修ホール
 ※予約・料金は不要です。

■展示解説
 日時/12月15日(土)午後1時30分~
    31年2月2日(土)午後1時30分~
 場所/2階企画展示室内
 ※予約・料金は不要です。

■特別講座「市史編さんの現場からⅢ」
『新編西尾市史』編さんのための調査・研究の成果を専門委員がわかりやすく紹介します。
 内容・講師/
① 「海の古代寺院 ―寺部堂前遺跡(寺部廃寺)出土の瓦を中心に―」 
 永井邦仁氏(愛知県埋蔵文化財センター調査研究主任/市史考古部会調査員)
② 「西尾市の地形・地質探偵団 ~基盤岩類の謎と佐久島の地層のミステリー~」
 内田義和氏(岡崎学園高等学校副校長/市史自然部会執筆員)ほか
 日時/12月9日(日)午後1時30分~
 場所/地階研修ホール
 ※定員70名(当日先着順)。予約・料金は不要です。

■連続講座 史料から歴史の謎を読み解く2018
〔科研費・基盤研究(S)「天皇家・公家文庫収蔵史料の高度利用化と日本目録学の進展―知の体系の構造伝来の解明―」研究グループ共催〕
第1回「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の虚像と実像」
 講師/金子 拓 氏(東京大学史料編纂所)
 日時/12月16日(日) 午後2時~3時30分
 場所/地階研修ホール
  ※定員70名(当日先着順)。予約・料金は不要です。


本企画展図録のご紹介

A4 23ページ 110g 500円
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