〈小野蘭山没後200年関連展示〉平安読書室
~山本亡羊とその息子たち~
- 会期
- 2010年11月13日(土)〜2011年1月16日(日)
- 料金
- 入場無料
- 展示解説
- 11月27日(土)・12月18日(土)
- 連続講座
- 12月11日(土)第3回「『伊勢物語』と八橋(仮)」
- 上野英二氏(成城大学教授・文芸学部長)
はじめに~平安読書室の旧蔵書~
岩瀬文庫には「読書室珍蔵記」の朱印が捺された書籍の一群が所蔵されています。江戸時代後期を代表する知の巨人・小野蘭山(らんざん)が幕府の招請で江戸へ下ってのち、京都学派の中心として大きな功績を果たした家塾・平安読書室の旧蔵書です。主宰は儒医にして本草学者の山本亡羊(ぼうよう)(1778~1859)です。亡羊は、蘭山に師事して本草学を修め、蘭山下向後の門人後学の指導にあたりました。その亡羊を、錫夫・秀夫・章夫・正夫・善夫という五人の優秀な子息たちがそれぞれの専門性を以て支えました。研究の根幹である本草書、家業の医書や薬学書をはじめ、儒学、国学、歴史、文学、地誌など蔵書内容は多岐に亘り、その数は1000点を超えます。中核をなすのは亡羊及びその五子による著作や精力的な和漢洋の典籍の書写で、見る者を圧倒する書物の山を築き上げました。
平安読書室
京都油小路五条の平安読書室(山本読書室、亡羊読書室とも)は、江戸時代後期から明治にかけて儒医山本家が主宰した家塾です。その濫觴は天明6(1786)年、山本家7代封山がそれまで侍読として勤仕した西本願寺を退任にあたり、文如上人から下賜された学問所「読書室」を自宅に移築、講堂として経書の講義を行ったことに始まります。次代亡羊は本草家として名を成し、五子とともに読書室を発展させました。本草学・医学・儒学を講義し、邸内に薬草園を備え、物産会や採薬を行い、万巻の蔵書を形成した読書室は関西の本草学研究の一拠点となり、高名な門人を多数輩出しました。
<展示資料>
『読書室蔵書目録』(141-8)1冊・『忘◆竊記』(55-1)38冊◆=竹かんむり+卑・ 『採薬記』(17-40)7冊・『天台採薬和歌』(13-84)1冊・『読書室物産会目録』(30-12)12冊・『読海防策』(14-94)1冊・『屈佚文藻』(30-104)1冊
亡羊の著作
20歳のとき『虚字註釈備考書』6巻を版行したのを皮切りに、亡羊は次々と著作をものし、50点を超える著作・遺稿を残しています。著述に際しては、浄書や校訂、参考文献の謄写などに、五子たちが大いにその事業を支えました。亡羊の自著は家業に関する医論や薬方、療治書、また漢学や詩歌の著作もみられますが、やはりほとんどは本草書で、その頂点に達するのが大著『格致類編』と、その抄出版ともいえる『百品考』です。
<展示資料>
『格致類編』(16-89)62冊・『百品考』(26-162、47-42)6冊・『四史蒙求』(27-40)3冊・『花彙』(23-65)8冊・『<新校正>花彙』(63-35)8冊・『洛医彙講』(25-68)3冊
錫夫の文筆
読書室旧蔵の写本類のほとんどは、錫夫の手になるものです。博学で文筆の才に優れており、父亡羊の業務を援けながら多数の文稿をものし、また医書や本草書をはじめ読書室が必要とする和漢洋の諸書を蒐集あるいは借覧筆写しました。読書室の膨大な蔵書群の形成は、この錫夫の力に大きく依っていました。父亡羊の業績に多大な貢献をし、自らも優れた本草学者として名を馳せましたが、もっぱら読書室の業務に尽したことと、病がちで若くして亡くなったため、錫夫自身の業績は原稿類にとどまり、世に出す機会は訪れませんでした。
<展示資料>
『読書室日抄』(31-73)59冊・『介品図証』(46-19)1冊・ 『栗氏千虫譜』(46-38)3冊・『土参考』(30-95)1冊・『禁中御絵歌留多目録較正』(24-57)1冊
章夫の写生画
幼少の頃から学問を好み、12歳にして四書五経の大義に通じ父や兄の代講を務めることができたという章夫は、父について家学を修める傍ら、本草学研究に不可欠な写生画の作成のため、15歳の時から蒲生竹山・森徹山に師事して絵を学びました。彼が筆を執った動植鉱物の写生画は数千点にのぼるといいます。
<展示資料>
『萬花帖』(卯-13)24冊・『禽品』(卯-17)4冊・『果品』(卯-23)1冊・『介品』(卯-20)1冊・『魚品』(卯-14)8冊・『獣類写生』(49-21)1巻・『中山花木図』(午-7)1巻・『蛮草写生図』(41-ロ1)1冊・『和蘭六百薬品図』(子-338)7冊
亡羊の先達たち
読書室の発展が亡羊および五子の力量に由るものであることは紛れのないことですが、彼らに通底する思想的・学問的な礎は、亡羊を導いた先達たちによって築かれました。
<展示資料>
『救荒本草講録』(13-102)1冊・『蘭山先生生卒考』(17-47)1冊・『読書室随筆』(30-34)1冊・『寛政六甲寅年 詠草』(32-41)1冊
本草家たちの本
読書室においては亡羊や五子たちの著述や講義の基礎文献のほか、他の本草家の遺稿や旧蔵書、著作を蒐集し、また精力的に筆写しました。読書室が蒐集あるいは筆写したおかげで散逸せずにすんだ本、内容が後世に残された本が少なからずあります。これら読書室蔵書は塾生の閲覧が許されていました。膨大な資料を蒐集保存し、必要とする人の利用に供したこと―これも読書室の果たした大きな功績の一つと言えましょう。
<展示資料>
『皓山答諸子問事件』(26-88)1冊・『一角纂考』(57-31)1冊・『怡顔斎博蒐編』(47-39)7冊