2008年1月26日(土)〜2008年3月30日(日)

こんな本があった!5

~岩瀬文庫平成悉皆調査中間報告展5~

会期
2008年1月26日(土)〜2008年3月30日(日)
料金
入場無料
展示解説
2月16日(土)
特別講座
3月8日(土)
「今年度の調査からわかったこと Vol.5」
塩村 耕氏(名古屋大学大学院教授/岩瀬文庫資料調査会会長)

 文庫開設以来初めて行われる悉皆(しっかい)調査(全資料調査)は8年目に入りました。調査を始めたころは、岩瀬弥助(1867~1930)がなぜこのような莫大な文庫を、巨万の私財を投じて造ったのか、ぜんぜんわかっていませんでした。調査を通して、大量の古典籍と格闘しつつ、心の中でその疑問を問いつづけてきました。
 その後ありがたいことに、段々といろんなことがわかってきました。それらについては、この「こんな本があった!」展図録のⅡとⅣの序文で紹介しています。今回もそれに引き続いての嬉しい報告です。


左に写真を掲げる和歌の短冊は、岩瀬文庫にある『三河人短冊帖』(仮題)の中に貼り込まれてあったものです。文字を読んでみましょう。

  書  言だまのさきはふ国のふることも  ふみなかりせばいかでつたへん 政香

 和歌は基本的に大和言葉を用いますから、題の「書」は「しょ」ではなく「ふみ」と読ませたはずです。つまり書物のことです。日本は古来「言霊(ことだま)のさきわう国」と言われました。言葉には特別の霊力があり、さまざまな幸福をもたらすものとして重んじられてきました。そんな国の「古言(ふること)」、昔の言葉や、それによって綴られた文章や物語も、もしも書物というものがなかったならば、どうして後世に伝えることが出来ようか、といった意味ですね。世代を越えて、言葉や知識、人々の思いを伝えてゆくという、書物のもつ本質的な意義を、最も的確に歌に詠みあげています。これは名歌です。西尾の宝としていただきたい、すばらしい短冊です。
 作者は、江戸時代後期の人、寺津八幡宮(西尾市寺津町)の神主さんで、国学者としても知られる渡辺政香(わたなべまさか)(1776~1840)です。政香は神社に文庫を開設した人で、「こんな本」展図録Ⅳで紹介したとおり、政香は岩瀬文庫創設に大きな影響を与えた先人です。
 こんな短冊が岩瀬文庫にあったのは偶然ではありえません。この短冊の意味するところを、弥助はただちに理解したに違いない。だからこそ、古い書物を集め、人々に公開して役立てるとともに、それを未来永劫へ伝えようとしたわけです。岩瀬文庫の書庫の中には、古い書物だけではない、もっと大切なもの、すなわち「先人の志」が保存されているのです。さて、これに応えて、私たちも次の世代の人々に、どのような〈志〉を残すことが出来るのでしょう。 
 本年5月6日は岩瀬文庫開設百周年です。




平成20年正月           悉皆調査責任者
                 名古屋大学文学研究科(日本文学)
                 塩村 耕(しおむら こう)




Ⅰ.〈小特集〉名家の書き入れは楽しい

 今回の悉皆調査では、それぞれの書物の隅から隅まで目を通しているため、数々の発見があります。中でも思いがけないところから見つかる、名家の書き入れは嬉しいものです。それらの書物がどのような影響を彼らに与えたのか、想像がふくらみます。

〈展示資料〉
[1]『茅窓漫録(ぼうそうまんろく)』(9函61号) 明治のジャーナリストで実業家(洋画家、岸田劉生の父)、岸田吟香(ぎんこう)(1833~1905)。本を大阪で購入、淀の船上で記された気持ち良い文章。明治6年の鉛筆書が珍しい。 
[2]『豊公遺宝図略(ほうこういほうずりゃく)』(10函77号) これも岸田吟香。姫路で買った本という。忙しく全国を飛び回っていたことがわかる。
[3]『平忠度詠百首(たいらのただのりえいひゃくしゅ)』(120函60号) 蜀山人大田南畝が大坂出張中に入手した本。元和2年書写と思われる別本との校異を丹念に書き入れ、貴重。
[4]『両巴巵言(りょうはしげん)』(120函96号) 洒落本の嚆矢とされる記念碑的作品。戯作者式亭三馬が丁寧に補修改装を施した本で、文学史的に重要。 
[5]『菟玖波集(つくばしゅう)』(74函23号) 準勅撰の連歌の撰集。初代・二代の柳亭種彦、鴬亭金升等の旧蔵書き入れ本。戯作者たちがこんな分野の古典まで、よく勉強していたことを知る。
[6]『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』(99函15号) 南朝擁護のために書かれた史論書。京の医者で学者、蔵書家、松下見林(1637~1703)が異本との校合を丹念に書き入れた版本。
[7]『源三位頼政家集(げんさんみよりまさかしゅう)』(25函22号) 菱川師宣風絵入りの江戸版歌書。幕臣で国学者、伴直方(1790~1842)による書き入れ本。珍しい語彙や表現を集めていたことがわかる。
[8]『洗心洞剳記(せんしんどうさっき)』(123函119号) 大坂町奉行所与力の隠居で陽明学派の漢学者、大塩平八郎の読書録。刊行の年に外宮の神官に贈った自筆の献呈書き入れあり。この4年後に乱を起こす。
[9]『湖月抄(こげつしょう)』(114函2号) 近世期を代表する源氏物語の注釈書。伊勢白子の人で本居宣長門の国学者、村田春門(1765~1836)が、師の宣長による校合などを詳細に書き入れた本。
[10]『土佐日記抄(とさにっきしょう)』(43函イ12号) 土佐日記の注釈書。三河岡崎の人で、石見浜田藩松平家に仕えた国学者、斎藤彦麿(1768~1854)の書き入れ本。
[11]。『学問所御版目録(がくもんじょごはんもくろく)』(82函8号) 幕府昌平坂学問所の蔵版書目録。江戸在住の備後福山藩医で国学者・書誌学者、森立之(1807~1885)による、書目の増補や板木焼失書の書き入れが参考になる。
[12]『古事記灯大旨(こじきともしびおおむね)』(122函173号) 京の国学者、富士谷御杖(有名な成章の子、1768~1823)による、古事記についての評論書。著者による校正本は珍しい。
[13]『遠江風土歌(とおとうみふどか)』(123函60号) 遠江(静岡県西部)の地誌的教科書。これも校正本で誤りや不適切な箇所を改める。著者は西尾にゆかりある人物。
[14]『役者信夫石(やくしゃしのぶせき)』(120函52号) こちらは役者評判記の校正本。


『平忠度詠百首』

『菟玖波集』

『古事記灯大旨』




Ⅱ.続々出現する珍奇本の数々

 今年も珍資料が次々にあらわれて、楽しませてくれました。

〈展示資料〉
[15]『対人猟虎紀事』(121函41号) 朝鮮釜山の和館(対馬藩の居留地)に出現した大虎2頭を、勇猛な対馬藩士たちが仕留めた記録書。哀れ、虎は彼らの胃袋におさまった。
[16]『犬狗養畜伝(けんくようちくでん)』(119函239号) これは珍しい、犬の飼育法指南書。著者は著名な読本などの作家、よほどの犬好きだったらしい。愛犬家必見の書。
[17]『徂西志(そせいし)』(122函97号) 金沢より伊勢神宮及び京大坂を廻った旅の漢文体紀行。名古屋では金鯱を見て「燦爛金鱗、与朝曦相映発、殆有杜詩『天門日射黄金榜』句之景趣也」と感心している。
[18]『諸州採薬記抄録』(122函74号) 著者は伊勢飯高郡の人で、和歌山藩主徳川吉宗の将軍就任に伴い江戸に出て、幕府薬園の管理者となった。幕府採薬使として諸国を廻った際の見聞奇談を綴る。
[19]『本朝奇跡談(ほんちょうきせきだん)』(67函6号) 同書に基づき、版本の奇談集読本に仕立てた書。内容・配列に異同あり。
[20]『秩父山三十四観音巡廻記(ちちぶやまさんじゅうしかんのんじゅんかいき)』(121函57号) 江戸の旅行好きの仕立て屋が、秩父観音巡拝の見聞を活写する。三ツ峯山では、火防盗賊防の守として貸し出される「御犬」の記事あり。
[21]『芝翫栗毛(しかんくりげ)』(120函153号) 江戸時代の役者の旅は、宿場の者にゆすられ、困難を極めた。そんな苦労を、人気役者中村芝翫がとぼけた味で描く。山家の百姓家で、自分のファンという娘と会う場面が傑作。
[22]『見達物語(けんたつものがたり)』(122函145号) エトロフ島で、赤人(ロシア人)来襲を間近で目撃した医者が、危機的状況におけるさまざまな人間模様を活写する。間宮林蔵も登場する。
[23]『吾妻のつと(あずまのつと)』(122函108号) 道中にあるすべての名所を見尽くす、贅沢な旅行記。著者は大坂阿波橋町の商人、玉屋五兵衛。丹羽桃渓ら当代の画工が筆を揮った風景画が美しい。カネのかかった本。
[24]『九郎物語(くろうものがたり)』(119函103号) ある鹿児島藩士が、苦難に満ちた自らの生涯を、その時々の心情描写を交えつつ書き綴った、読みごたえのある自叙伝。
[25]『竹田白双帋切紙(たけだしろぞうしきりがみ)』(122函94号) 室町時代に成立した婦人科の古医書。当時の女性や子どもがどんな病や症状に苦しんでいたかがわかる。京の医の名家、竹田家の関係者による著述か。
[26]『雲井調(くもいちょう)』(123函27号) 箏の琴の楽譜集。早い時代の歌謡を収めている点がありがたい。これをもとにして、当時の歌謡を再現することも可能。
[27]『〈新板改正〉伊勢路の記(いせじのき)』(123函47号) 仮名草子的な趣のある、伊勢路の古版道中記。松坂薮の下の傾城町や、伊勢間の山の女芸人お杉とお玉などの貴重な描写あり。 
[28]『老子講義(ろうしこうぎ)』(123函64号) 名古屋藩儒による老子の講義録。その後の藩主の生き方に影響を与えたという。上梓するために、門人が書写し改訂を加えた写本。
[29]『老子講義(ろうしこうぎ)』(86函4号) 上記写本に基づく版本(再版本)。「日本ノ天子」が謙徳を失い人を侮る作法が出来たために武臣に王威を奪われたとする論を削除するなど、一部異同あり。  
[30]『宮訛言葉の掃溜(みやなまりことばのはきだめ)』(123函62号)尾張の宮宿(熱田)あたりで話された方言を集めた書。「いかずいら(行コウ)」「おけていら(置イテオケ)」などなど。 


『犬狗養畜伝』

『秩父山三十四観音巡廻記』

『吾妻のつと』




Ⅲ.〈小特集〉江戸文学は奥が深い

 文学がはじめて書物という商品になった江戸時代。そこには近代とは違った面白い世界があります。まずは大人のマンガ、黄表紙から。こういう笑いに興じた江戸人の子どもっぽさは懐かしい。

〈展示資料〉
[31]『莫切白根金生木(きるなのねからかねのなるき)』(119函415号) 捨てても捨ててもカネがついてくるという、うらやましい話。いかにも黄表紙らしい名作。式亭三馬の旧蔵書という点も興味深い。  
[32]『本樹真猿浮気噺(もときにまさるうわさばなし)』(119函175号) 主人公の考える珍商売の数々が馬鹿馬鹿しい。中には未来に実現される仕事もあり。 
[33]『世上洒落見絵図(よのなかしゃれけんのえず)』(119函270号) 世の中が洒落すぎて、蚊になる前のボーフラが出て人を喰ったり、鰻にならぬ山芋の蒲焼屋が出来たり、男が血の道の薬を飲んだり、下戸がを好んだり・・・。  
[34]『再会親子銭独楽(めぐりああせおやこのぜにごま)』(119函185号) 銭を擬人化した物語。当時の銭が、通貨としての用途以外に、どのように使われたかを知る好資料。 
[35]『金々先生造化夢(きんきんせんせにぞうかのゆめ)』(119函226号) 茶漬一杯を振る舞うために、膳にする材木、茶碗に塗る漆、食材の米や茶、香の物にする大根、釜や包丁などなど、すべて一から作り出す仙人たち。今の子たちにも読ませたい。 
[36]『福徳寿五色目鏡(ふくとくじゅごしきめがね)』(119函426号) まるでテレビジョンのような眼鏡をかけて、バーチャルな旅行を楽しむという話。 
[37]『胴人形肢体機関(どうにんぎょうからだのからくり)』(119函283号) 団子っ鼻、猪首、膝っ小僧、鳩胸などを、そのまま言葉通りに描いた絵が笑わせる。 


『再会親子銭独楽』

『胴人形肢体機関』


本企画展図録のご紹介

A4 22ページ 110g 500円
完売いたしました。