2019年4月20日(土)〜2019年6月30日(日)

〈御即位慶賀〉帝(みかど)~平成から令和へ~

 新たな御代の幕開け―――――。新天皇がご即位され、元号が改まり、新しい時代はやってきます。ご即位を祝して、本展では即位・改元の資料をはじめ、物語に描かれた天皇や近習の日記など、さまざまな記録から浮かび上がる“帝”の姿を紹介します。

会期
2019年4月20日(土)〜2019年6月30日(日)
展示解説
4月27日(土)・6月15日(土) 午後1時30分~
2階企画展示室
連続講座
6月9日(日)午後2時~
第2回「天皇と改元~古代から現代まで~」
講師:小倉 慈司 氏(国立歴史民俗博物館准教授)
会場:岩瀬文庫地階研修ホール
定員:70名程度(定員を超えた場合はモニター聴講)
※予約・料金は不要です。
古文書講座
6月30日(日)①午前10時~11時30分 ②午後1時30分~3時
「江戸時代の帝に関する資料を読んでみよう」
会場:岩瀬文庫地階研修ホール
資料代:100円
定員:①②ともに30名
※要予約。6月15日(土)午前9時より電話または直接岩瀬文庫へ。
※①②は同じ内容です。

人民の父母として


『後奈良天皇宸翰般若心経』(辰-78)

紺色の紙に金泥でかかれた般若心経の末尾に「参河国」と記されている。
戦国時代、相次ぐ天災や戦乱により凶作や飢饉があり、疫病の流行で民衆が大いに苦しんだ。特に天文9(1540)年には「天文の飢饉」がおこり、全国各地で多くの人が亡くなった。そこで、後奈良天皇は自ら般若心経を書写、諸国の神社や寺院へ奉納することを発願。諸国奉納に先立って、醍醐寺に供養させた般若心経の奥書に「今、天下に疫病が流行し、万民が死に瀕している。私は人民の父母として、徳を行き渡らせることが出来ず、たいへん心を痛めている。ひそかに般若心経を金字で書写し、供養させる。なんとかこれが病の妙薬となることを願っている。」と御心が記されている。翌年、参河国も含めた六十六か国へ奉納した。




新元号「令和」


『万葉集』(75-2)

新元号の出典は、天平2年正月13日(730年2月4日)、大宰帥・大伴旅人の官邸にお送りいているが、催された宴の主客32名によって詠まれた「梅花の歌」序文の一節。巻五に収載。「時に初春の令月にして、気淑く風和ぐ(時は初春のうるわしい月、大気は澄んで快く風はやわらか)」より。選定理由は「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように」という思いを込めたものであるという。
元号の典拠にはこれまで中国の古典が用いられてきたが、初めて日本の古典から採用された。大化から令和まで248の元号で使用された漢字は73字、うち「和」が使われたのは20回、「令」は初めて。




一、即位と改元

2019年5月1日、新天皇の即位と改元を迎え、新しい時代の幕が開きます。古代から営々と紡がれてきたこの慶事には、様々な儀式や手続きが伴います。その一端を、遺された史料から垣間見てみましょう。




改元

皇位の継承があったときのみに元号が改められる明治以降の一世一元制と違い、かつては譲位はじめ祥瑞や天災など様々な理由で改元が行われ、来たる世への願いを込めて縁起のよい元号に改めました。しかしただおめでたい意味の漢字が並んでいればよいのではなく、制定には学識のある公卿らが新元号の候補とその出典・字義など記した書面「勘文(かんもん)」を提出、各々の善し悪しを討議する「難陳(なんちん)」を経て、相応しい典拠をもつ候補が選定されました。


『資定一品改元御記』(71-32-14/57)

『元秘抄』(104-126)




践祚と即位

新帝が皇位につくことを「践祚(せんそ)」という。践は「踏襲、実行する」、祚は「天子の位」のこと。もともとは「践“阼”」と書いたが、「祚」に幸福の字義があったため、祝意を込めてこの字を用いるようになった。践祚の後、天皇がそれを公式に宣命(布告)することを以て「即位」となる。現代においては践祚と即位を厳密に区別することがあまりなくなり、一般的にはもっぱら即位が使われるようになった。




『御即位調度文安図』(128-54)

『伊勢平蔵貞丈古式調』(卯-65)




大嘗祭(だいじょうさい)

毎年秋、天皇がその年の新穀や新酒を神に捧げ、またこれを共食することを「新嘗祭(にいなめさい)」といい、神々や自然の恩恵に感謝し、翌年の豊穣を祈る大切な祭儀である。なかでも即位後初めて行う新嘗祭が「大嘗祭」で、天皇一代に一度きりの祭儀であるため、極めて重視される。悠紀殿(ゆきでん)・主基殿(すきでん)を中心とした「大嘗宮(だいじょうきゅう)」において、古式に則った祭祀を天皇自ら数日に亘って執り行い、神占によって全国から選ばれた斎田(さいでん)で採れた米が神饌(しんせん)として捧げられる。




『大嘗会細記』(116-66)

大嘗祭とてんてこ祭


「天下の奇祭」として知られる、西尾市熱池(にいけ)八幡社の「てんてこ祭」(愛知県指定無形民俗文化財)。赤い衣装に身を包んだ6人の男が神社に向けて行列し、うち3人は男根を模した大根を腰につけ、「てんてこ、てんてこ」という太鼓の囃子にあわせて腰を振って奇妙な格好で踊り歩くのです。この風変わりなお祭りの起源は、平安時代の大嘗祭にあると伝わります。貞観元(859)年、清和天皇の大嘗祭の悠紀斎田にこの地が選ばれました。てんてこ祭は、その時の御田植え神事を模したものだとも、また大嘗祭後の悠紀の節会で天皇に奏した悠紀国の国風歌舞(くにぶりのうたまい)(郷土の歌や踊り)を伝えるものであるともいわれます。




二、宮中儀礼のさまざま

古代から宮中では1年を通じて様々な儀礼が行われました。江戸時代に記された記録に儀礼の様子を見ることができます。ほんの一部を皆様にご紹介しましょう。


『四方拝・元日節会』(109-100)

四方拝(しほうはい)
1年で最初に行われる宮中儀礼。天子として新年の厄災をはらい、豊作を祈る儀式。寅の刻(およそ午前4時頃)に行われる。清涼殿(せいりょうでん・天皇の日常の御殿)の東庭に屏風四帖で囲いをつくり、そのなかで属星(ぞくしょう・北斗七星の各星に生年の干支をあてたもの)・天地四方・山稜に向かって拝する




『御歯固図』(124-160)

歯固(はがため)
「歯」は齢(よわい)のこと。固いものを食すことで、齢を固めて長寿を願う行事。四方拝と朝賀の儀の間に行われた。押鮎・大根・瓜などの歯固の食品を天皇に供する。食品を載せる膳にはゆずり葉を敷く風習があり、肉と魚は別の盤にわけ、その他の野菜類は精進物と称した。




『〈諸国図会〉年中行事大成』(160-30)

白馬節会(あおうまのせちえ)
正月7日に白馬をみることで、年中の邪気を遠ざける儀式。古代中国では「馬」は陽の獣、「青」は春の色とされ、年始にみると年中の邪気を除くと信じられており、この風習が日本に伝わった。豊楽殿にて馬をひいて庭中をまわる儀が行われる。




『釈奠之図』(午-48)

釈奠(せきてん)
春秋の仲の月、2月と8月の上の丁の日に大学寮において孔子およびその弟子を祭る儀式。上卿(じょうきょう・朝廷の諸行事や執政の責任者)をはじめとして諸道の博士、学生らが大学寮に参集、王卿(おうけい)がきて、孔子や弟子たちの像を拝し、大学寮において講論を行う。その後、祭拝を終えると、大学の都堂で講論を行った。




三、御簾の向こう側

江戸時代以前の天皇は御簾に遮られ、その姿を見ることができませんでした。しかし、近習の日記などの記録にその素顔や逸話などが記されています。書物を通して通常は見ることのできなかった御簾の向こう側を覗き見てみましょう。


『天子摂関御影』(酉-41)




『閃鱗の一片』(88-26)

『箱根陪従紀行』(151-61)




『華園院神璽御記』(100-52)

『みとものかず』(83-39)




四、帝登場!~お話のなかの帝~

江戸時代、庶民が天皇の姿にふれる方法の一つが書物です。物語、往来物、百人一首などの本の中に登場した帝をあつめてみました。当時の人々はこんな本を通じて帝の姿に思いを馳せていたのでしょう。


『かみ代物語』(酉-7)

『愈高鼻皇都』(119-425)




『神統倭文章』(56-イ14-33/52)

『錦百人一首あづま織』(41-7)


本企画展図録のご紹介

A4 16ページ 110g 300円
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