2020年1月25日(土)〜2020年4月05日(日)

ひいなあそび

女の子の健康と幸せを願う、三月三日の桃の節句―ひなまつり。
その源流は貴族の子女のお人形遊びである「雛遊(ひいなあそび)」と、人形に厄をうつして流す祓いの風習や、古代中国から伝わった宮廷行事などが結びついて生まれたものだと考えられています。
本展では所蔵の古典籍をとおして、ひな人形やひなまつりの起源・伝承の様々を紹介します。
お人形の鑑賞ではない、古典籍の博物館ならではの一味違ったひなまつりをお楽しみください。

会期
2020年1月25日(土)〜2020年4月05日(日)
料金
入場無料
関連の催し
※新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止しました。ご了承ください。

一.ひいなあそび ~ひなまつりの源流~

中国では古くから三月上巳(じょうし)は季節の節目すなわち節句のひとつとして、水辺で心身を清める日でした。上巳とは最初の巳の日のことですが、干支は毎年変わって不便なため魏(ぎ)(220~265)の頃に三日に固定、以降、上巳といえば三月三日をさすようになりました。水辺の清めから派生した上巳節句の宮廷行事・曲水の宴(きょくすいのえん)が日本に伝わり、厄や穢れを人形(ひとがた)にうつして流す御禊(みそぎ)の風習「上巳祓(じょうしのはらえ)」や、子どもの守り人形を飾る習慣、そして貴族の子女のお人形遊び「ひいなあそび」と結びつき、のちのひなまつりへつながります。


『日本書紀』(97-42)

『枕草紙』(103-164)




『天児万守』(135-62)

『〈本朝〉歳時故実』(76-90)




二.「ひいなあそび」から「ひなまつり」へ

三月三日に雛人形を飾り、「雛祭」の呼称が一般化するのは、江戸時代の中頃からです。それ以前には「雛遊」といい、紙製の立雛(たちびな)で遊ぶものであったようです。やがて京・江戸・大坂の三都を中心に雛市(ひないち)が立つようになり、布製の着物を着せた座雛(すわりびな)が登場します。女子の節句として定着し初節句に雛人形を贈るようになると、次第に華美になり、毛氈(もうせん)などの上に雛人形を並べる程度だったものが、諸道具や供の人形などを賑々しく飾る雛壇形式へと発展してゆきました。


『千代田之大奥』(午-100)より「雛拝見」




『〈諸国図会〉年中行事大成』(160-30)

『〈女訓絵入〉雛遊の記』(122-169)




『絵本女躾鑑』(162-178)

『〈所作入由来入〉人倫訓蒙図彙』(47-41)




三. ひなまつりを彩るモチーフ

節句とは陰陽五行思想に起源をもつ自然観で、季節の重要な節目と考えられ、古来より伝統的な年中行事を行う日のことです。江戸時代になると、幕府はそのうちの5つを武家の公的な式日(年中行事・祝日)として制定しました。1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)の五節句です。 節句はまた「節供」とも書き、節目の日を無事に過ごすためのお供え物や祝儀の料理を伴うものでした。ひなまつりにつきものの桃の花や白酒なども、節供行事への捧げ物であったのです。

〈桃〉


『草木花実写真図譜』(143-117)

古代中国では桃には破邪の霊力があると考えられていました。日本にもその思想は伝わり、また「もも」は「百歳(ももとせ)」にも通じ、さらに桃は多くの花実をつけることから子孫繁栄の象徴として、縁起のよい木とされます。3月3日(旧暦)はちょうど桃の開花時期にあたり、桃の霊力で健康や良縁を授かろうと、ひなまつりには桃の花を飾ります。




〈白酒〉


『江戸名所図会』(35-61)より「鎌倉町豊島屋酒店 白酒を商ふ図」

かつては上巳には桃の花弁を浸した酒「桃花酒(とうかしゅ)」を飲む風習であったようです。酒を飲むのは曲水の宴の名残から、また桃花を浸すのは桃の霊力にあやかってのことです。江戸時代になると、これに白酒がとって替わりました。甘い白酒は女性や子どもに好まれ、人気を博しました。また白という貞淑を象徴する色が女性に相応しいとして好意的に迎えられた側面もあります。




〈草餅〉


『世諺問答』(46-16)

上巳の節会で草餅を食べ、また親しい人等に配る風習は平安時代にはすでにあったとされます。かつては草餅には鼠麹(ははこぐさ)(春の七草のゴギョウ)を使用したといいますが、「母子を搗(つ)く」のは縁起が悪いと、香りが邪気を祓うと信じられ薬草としても効果が高い蓬(よもぎ)を使用するようになりました。こんにちでは草餅といえば蓬餅をさします。菱餅の緑色も蓬餅です。




〈蛤(はまぐり)〉


『二見のうら』(124-177)

3月3日(旧暦)頃は大潮となり、潮干狩りや磯遊びが楽しまれていました。ちょうど旬を迎える蛤の潮汁は上巳の節句の御馳走です。また対となる貝殻しかぴったり合わない蛤は、二夫にまみえない貞女の象徴として女子の節句との親和性が高く、雛・這子人形とともに貝覆(かいおおい)(貝合わせ)の貝桶(かいおけ)のミニチュアが、段飾りの雛人形の諸道具の中に見られます。






四.ひなの様々

都市部を中心に格調高い内裏雛や豪華な段飾りが登場しても、慎ましい庶民の家庭の場合、雛人形は母親の手作りであることが多く、それはそのまま少女たちの遊び道具になりました。また地方では身近にある材料で、その土地ならではの発想でつくられた素朴な郷土雛が、ふるさとの少女たちの節句を彩りました。時代や地域で様々に異なる雛人形が存在しますが、娘の健やかな成長や幸せな将来を願う親心はどの雛も変わりません。今は失われたものも多い貴重な雛の様々をご覧ください。


『おもちゃ十二支』(巳-56)

『うなゐのとも』(165-45)




『骨董集』(123-113)

『雛百種』(子-335)


本企画展図録のご紹介

A4 16ページ 110g 300円
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