2021年10月01日(金)〜2021年11月28日(日)

ものがたりの系譜

本展示は、室町時代に現れたお伽草子の絵巻から江戸時代の庶民が楽しんだ黄表紙や読本などの絵入り小説まで、それぞれの時代や読者層を背景に誕生し、人々を魅了してきた“ものがたり”の本の変遷をたどってみようと試みるものです。
 かつて、一握りの上流階級のためにつくられた一点物の豪華絢爛な絵巻や絵本が、やがて印刷出版の普及に乗り、人々の間に広く流通してゆくさまを、バラエティに富んだ蔵書を誇る岩瀬文庫ならではの多彩な書物たちを例に引き、ご覧に入れながら紹介します。我が国の豊かな書物文化の一端に触れられる、読書の秋にぴったりな展示です。どうぞ最後までごゆっくりとご覧ください。 

会期
2021年10月01日(金)〜2021年11月28日(日)
料金
入場無料
展示解説
①9月19日(日)・②10月17日(日) 午後2時~3時
地階研修ホール ※どちらも同じ内容です。
定員:①②ともに15名
※要予約。9月4日(土)午前9時から電話または直接岩瀬文庫へ
古文書講座「むかしの人が楽しんだ物語を読んでみよう!」
日時:11月28日(日)①午前10時~11時30分 ②午後1時30分~3時 ※どちらも同じ内容です。
会場:岩瀬文庫地階研修ホール
資料代:100円
定員:①②ともに15名
※要予約。11月13日(土)午前9時から電話または直接岩瀬文庫へ。

第1章 華麗なる絵ものがたり

よく知られる「源氏物語」など平安時代に端を発する物語の文学作品がみられるように、わが国では古くから「ものがたり」が楽しまれてきました。貴族の没落ととともに一時は衰微した物語の本は、室町時代後期、それまで口承などにより語り継がれ人々に楽しまれてきたお伽話や神話、民間伝承などを題材とした絵巻として誕生します。やがて冊子形態へと姿を変え竪型の絵本となり、さらに構図のとりやすい横型の本へと変化してゆきました。



<絵巻>
極彩色の挿絵に流麗な仮名文字で書かれた詞書(ことばがき)を添えた巻物形式の絵本です。初めの頃の形態は、展示資料の小絵(こえ)と呼ばれる小型のものや、素朴な絵の中に詞書きが混入する体裁のものであったと考えられています。江戸時代前期になると大型で豪華なものが盛んにつくられるようになり、中期以降は模写本が増えてゆきました。


『かみ代物語』


『小藤太物語』

『ささやき竹物語』




<奈良絵本>
精緻な手書きの彩色挿し絵を添え、金銀箔をふんだんに散りばめた豪華な絵本です。奈良の絵仏師が描いたとの俗称から「奈良絵本」と呼ばれますが、奈良時代や奈良地方とは関係ありません。上流階級の子女のためにつくられた高価な一点物で、婚礼の祝儀やインテリアとしても使用され、「嫁入り本」「棚飾り本」などとも言われます。


『浄瑠璃姫物語』


『住吉物語』




第2章 出版されたものがたり

江戸時代になると印刷出版が一般化し、それまではもっぱら手書きで書かれ、読み継がれてきた物語が木版印刷によって出版されるようになりました。江戸時代の文学は、そのほとんどが出版物であるという点に特徴があります。ここに江戸時代初期からの小説のジャンルを並べてみました。時代が下るにつれ、1ページあたりの文字数が増え、字が小さくなってゆくことがよくわかります。この現象は後戻りすることなく、現代まで続いています。出版という商業ベースに乗ることで、掲載される情報量が多くなり、1文字あたりの単価がどんどん安くなってゆくということです。このことは小説、物語や文学の質の変化にもつながっています。

<お伽草子>
室町時代から江戸時代初期にかけてつくられた、短編の絵入り物語本の総称です。室町時代物語、中世小説などとも呼びます。狭義には、江戸中期に「御伽文庫」「御伽草紙」として出版された、横長の版本をさします。


『ふんしやう(文正)』




<仮名草子(かなぞうし)>
江戸時代初期、教訓や娯楽などのためにつくられた仮名(かな)書きの読み物です。中世以来のお伽草子の流れを引く物語から、案内記などの実用書や思想啓蒙書など、広がった読み手の需要に応えてジャンルにも幅があります。また出版業の活況にともない、浅井了意や山岡元隣といったような、代表的な“作家”が登場してくるのもこの頃です


『東海道名所記』 浅井了意




<浮世草子(うきよぞうし)>
天和2年(1682年)、井原西鶴の『好色一代男』が大坂で出版されたのをはじまりに、それから約百年間、主に上方を中心に流行した、写実的な風俗小説です。「浮世」とは人生とか世の中、現代などといった意味で、泰平の世を謳歌し始めた時代の空気を取り込んで生まれました。代表的な作家には井原西鶴のほか、西沢一風、江島其磧などがいます。


『日本永代蔵』 井原西鶴




<読本(よみほん)>
成熟した読者が欲した、文を読むことを目的とした読み物です。江戸中期頃から起こり、京都や大坂など上方(かみがた)を中心とする前記読本と、江戸時代後期の寛政頃に江戸へと中心が移った後期読本とにわけられます。前期の代表的な作者は上田秋成、建部綾足など。後期は曲亭馬琴、山東京伝らが優れた長編を書きました。


『松浦佐用姫石魂録』 曲亭馬琴




嵯峨本の出現

慶長13年(1608年)、本阿弥(ほんあみ)光悦(こうえつ)・角倉素庵(すみのくらそあん)が『伊勢物語』2冊を出版しました。嵯峨で出版されたので「嵯峨本」などと称されます。この嵯峨本は色替わりの料紙を使ったり雲母をひいた模様が描かれたりなど、美術的にも大変に優れた本ですが、近世日本における出版に大きな影響を与えた点で注目されます。光悦の文字を版下(原稿)にした流麗なかなの活字は、こののちのかな活字の発展をうながし、一般読者に受け入れられやすいかなの本をひろめました。また、物語の本に挿し絵を入れたのも初めての試みで、以降、江戸時代を通じてたくさんつくられてゆく絵入りの物語版本の始まりとなりました。


『<嵯峨本>伊勢物語』




ルポルタージュのはじまり?!

『大坂物語』は、上巻は関ヶ原の合戦から「大坂冬の陣」、下巻は翌年の「大坂夏の陣」の戦闘の経過を、挿し絵入りで読み物風に描いた作品です。はじめは慶長19年(1614年)の冬の陣の直後に、このいくさの実況速報として上巻にあたる分が刊行されましたが、その後翌元和元(1615)年に夏の陣が起こったため、新たにこの戦況と大坂城の落城、豊臣氏滅亡を書き加え、改めて上下2巻本と成りました。それまでの、語り継がれた御伽話や古典文学などの既存の物語ではなく、読者の興味関心に応え、同時代に起こった事変をいち早く出版した“ルポルタージュのはじまり”として注目される物語です。


『大坂物語』




第3章 印刷技術の発展

江戸時代に一般的な木版印刷は、まず原稿を薄い紙に清書し(版下といいます)、それを裏返して板に張り、文字や絵の線を残してまわりを彫り取ります。こうしてできた版木に墨を塗り、紙をあて、こすって写し取るのです。やがてそれぞれの工程は分業化され、専門の職人によって技術が磨かれてゆき、美しい文字や緻密な絵、鮮やかなカラーが印刷できるようになりました。




カラーの本

<丹緑本(たんろくぼん)>
りんかくの線のみ印刷した版本の挿絵に、ごく簡単に赤・緑・黄などの淡い色を、手描きでささっと施したものです。江戸時代の初期、寛永~万治年間頃に、上方で出版された古浄瑠璃本やお伽草子などに多く見られます。


『うすゆき物語』




<合羽(かっぱ)刷り>
油を引いた厚紙を切り抜き、色をつけたい紙にかぶせてその上から色を塗ると、切り抜いた形に下の紙に彩色が施されるという、簡単な色刷り法です。木版の多色刷りとくらべ、色の境目がにじみがちなこと、押してこすった跡がないことなどで見分けがつきます。


『絵本七徳舞』




<多色刷り>
複数の版木を用い、色を重ねて刷られたものをさします。江戸時代中期頃から本の挿し絵などにみられるようになり、さらに後期になると浮世絵版画の技術の発達によって、精密で多数の色を使った色刷りが行われるようになりました。


『春色梅児誉美』




第4章 庶民の楽しみ ~草双紙(くさぞうし)~

本格的な小説とはまた別に、通俗的な小説絵本・草双紙も大衆に愛された文学の形のひとつです。紙面の中心に大きく描かれた絵と、絵のまわりにひらがなを多用して書かれた口語文とでストーリーが展開する形式は、いまのマンガを連想させます。


こどもの本

<赤本>
元禄(1688~1703)頃から出版された、赤色の表紙の草双紙。
幼児向け。


『むかしむかしの桃太郎』『文福茶釜』『さるかに合戦』


<黒本>
享保(1716~35)頃から出版された、黒色の表紙の草双紙。
少年向け。


『弘徽殿』『平惟茂化物退治』


<青本>
黒本と同じ頃に出版された、青色(薄い緑色)の表紙の草双紙。
青少年向け。


『風流鱗退治』



おとなの娯楽


<黄表紙(きびょうし)>
赤本・黒本・青本の流れをひきながら、おとなの鑑賞に堪えうる内容になったものです。黄色の表紙から黄表紙と呼ばれます。恋川春町、山東京伝などを始め次々と売れっ子の作家が登場し、浮世絵師たちによって洒脱な絵が描かれました。江戸時代後期の30年くらいの間(1775~1806)に爆発的に流行し、その作品数は2000種を超えます。


『三升増鱗祖』


<合巻(ごうかん)>
黄表紙のストーリーがどんどん複雑・長編化するにつれ、黄表紙の一般的なかたちである1冊5丁(10ページ)・数冊で完結という紙面では足りなくなり、数冊分を合冊するようになったものが合巻です。当初は黄表紙と同様の、黄色の表紙に絵題箋(えだいせん:書名や作者名などに話の一場面のカットを添えた紙)を貼った簡素な装丁でしたが、のちには読者の購買意欲をあおるため、多色刷りの美しい表紙がつけられるようになりました。


『雑談雨夜質蔵』


貸本屋の活躍

漫画風の挿絵入り川柳本『画本柳樽』には、顧客のところへ親しく上がり込み、様々な本を広げてみせる貸本屋の様子が描かれています。見料をとって本を貸す貸本屋は、笈箱や風呂敷包みに本を詰め、得意先に貸して歩くのが一般的な営業形態でした。特に大衆向けの娯楽目的の本を多く扱っていたとされ、人々が本を読む機会を広げることに大いに貢献していました。


『画本柳樽』より


写本―手書きの本

印刷されたものではない、手書きで書かれた本のことを写本(しゃほん)といいます。誤解されがちですが、コピーとかにせものという意味ではありません。商業出版が普及し、多種多様な本が印刷によって世に出回るようになった江戸時代でも、写本の作成は続いていました。その理由は様々にありますが、こと「ものがたり」の本に関しては、同時代の事件や政治、将軍や大名などに触れる内容のものについて出版することが制限されたため、これらをテーマとする小説等は写本によって貸本屋などを通じて流布してゆきました。そのような小説を実録写本といいます。


『寛政夢物語』

<そして近代へ…>
時代が明治に変わっても、大衆に愛された草双紙や読本は根強く読まれ続けました。一方で、欧米文化の流入は書物の世界にも及び、木版印刷は徐々に西洋式の活版印刷に取って代わられてゆきます。その過渡期には、装丁は伝統的な和装本ながら、中身は金属活字による活版印刷という和洋折衷の「和装活版」がつくられました。やがて外見もハードカバー風のボール紙表紙や論文の抜き刷りのようなくるみ表紙の本、さらに明治20年代頃には近代文芸の誕生とともに、こんにちのような洋装本が主流となってゆきました。


『<今古実録>鼠小僧実記』


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