2023年6月10日(土)〜2023年9月10日(日)

特別展「家康を支えた武将・松井忠次」

市制70周年・岩瀬文庫リニューアル20周年記念

 三河国幡豆郡饗庭郷(現西尾市吉良町小山田)出身の武将・松井忠次は、東条松平氏の同心となり、徳川家康のもとでの活躍によって譜代大名・松平周防守家の祖となった人物です。
 姉川や三方ヶ原、長篠の戦いなどの家康の主要な戦いで最前線に立ち、その功績により松平姓を賜り、天正11(1583)年に沼津・三枚橋城主として亡くなるまで家康を「武」の面で支え続けました。
 その後、忠次の子孫は譜代大名として老中3名を輩出するなど幕政を支え、丹波篠山城主や石見浜田城主などを歴任したのち、川越城主として幕末を迎えました。
 本展では、西尾市で初公開となる数々の資料を通して、家康のもとで数多くの戦功を挙げ、小領主から松平姓を賜る大名にまで出世した松井忠次の生涯を紹介します。
※『寛政重修諸家譜』によると天正3(1575)年頃、家康から「松平」姓を許され、同時期に「康」の字をもらい、康親と名乗ったとされますが、本展では松井忠次で統一します。

会期
2023年6月10日(土)〜2023年9月10日(日)
料金
入場無料
関連イベント
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序章 三河松井氏のおこり

 松井氏は三河国幡豆郡饗庭郷小山田(現吉良町小山田)を発祥の地とし、波城(羽城、松井城とも)を居城としました。また、先祖代々の墓が正龍寺(吉良町小山田)に残されています。忠次の先祖は室町幕府奉公衆饗庭氏の被官でしたが、饗庭氏没落後は足利一門の名族東条吉良氏に従ったとされています。なお、文明16(1484)年に饗庭郷の正法寺(吉良町乙川)に金鼓を寄進したのは、松井氏の人物であったと考えられています。


《西尾市指定文化財》金鼓 正法寺所蔵 ※パネル展示

『小山先祖旧記』小山忠則氏所蔵




第一章 今川直臣・東条松平氏と松井忠次

 天文十五(一五四六)年、今川氏が三河へ侵攻すると、松井氏は今川氏に従い、後に松井忠次は東条松平氏に同心として仕えるようになります。東条松平氏は東条城(吉良町駮馬)入城前の本領が青野(岡崎市上青野町・下青野町)にあったことから青野松平氏とも呼ばれます。東条松平氏の初代張忠の跡を継いだ康忠が戦死したため、弟の甚二郎が家督を継ぐことになりました。しかし、甚二郎が今川氏を裏切り尾張の織田方へと走ったため、このことを弟の忠茂は松井忠次とともに今川氏へ訴え、忠茂が兄に代わって当主となりました。当主になった忠茂が若くして討死したため、忠次は幼少の亀千代(忠茂の子・忠次の甥)の名代(後見)として東条松平氏を支えていくこととなります。




「山田景隆等連署起請文」観泉寺所蔵

「今川義元判物(切紙)」観泉寺所蔵




第二章 松井忠次とその活躍

永禄三(一五六〇)年五月、桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、松平元康(後の徳川家康、以下本展では家康に統一)は今川氏から離反して独立し、三河領内の制圧のため今川方の城を攻撃するようになります。東条松平氏と忠次は早い段階から家康に従い、家康による三河統一を支え、その後の武田氏や北条氏との争いでも常に最前線の城を任され、数々の武功を挙げました。




1 松井忠次とは

大永元(1521)年に三河国幡豆郡饗庭郷(吉良町小山田)に生まれ、仮名(けみょう)は金七郎、左近(左近将監)忠次と称し、譜代大名松平周防守家の祖となりました。




「松井忠次肖像」法応寺旧蔵/西尾市教育委員会所蔵




2 家康の三河統一を支えた忠次

桶狭間の戦い後、家康は三河統一を目指します。忠次は東条城主・吉良義昭との戦いや上ノ郷城(蒲郡市)攻めなどの戦いで功績をあげ、家康の三河統一に貢献しました。




「松平元康起請文」光西寺所蔵/川越市立博物館寄託

『松平記』西尾市岩瀬文庫所蔵




「松平元康感状」泰巖歴史美術館所蔵 ※パネル展示

「松平元康書状」光西寺所蔵/川越市立博物館寄託




「参州東條古城図」光西寺所蔵/川越市立博物館寄託




「松平家康書状」個人蔵/川越市立博物館寄託




3 家康の戦いを支えた忠次

永禄11(1568)年に家康は遠江の今川領へ進出し、遠江を領有すると元亀元(1570)年に居城を岡崎から浜松へ移します。その間、駿河に侵攻した武田氏と駿河・遠江をめぐって争うことになりますが、その抗争は十四年もの長きにわたりました。忠次は、姉川の戦いや三方ヶ原の戦いに従軍し、諏訪原城攻めなどでは最前線に立ちました。その功績により松平姓を賜り、松平周防守と名乗ります。




「姉川合戦図屏風」福井県立歴史博物館所蔵 ※パネル展示




『大三川志』西尾市岩瀬文庫所蔵

「徳川家康知行宛行状」光西寺所蔵/川越市立博物館寄託



「松井忠次黒印状」村山浅間神社所蔵




第三章 旧法応寺墓所

 東条城跡の北側丘陵に所在した法応寺は、松井忠次が永禄年間に建立した寺です。忠次は天正11(1583)年に生涯を閉じましたが、自ら創建した故郷の法応寺に葬るよう遺言したと伝えられています。江戸時代中期以降になって忠次墓に石塔や忠次の顕彰碑が建てられました。
 法応寺は昭和32(1957)年に廃寺となり、墓所を残して境内地は土取りのため、滅失しました。平成23年に墓所の発掘調査が行われた後、墓石などは花岳寺(吉良町岡山)に移築されています。


旧法応寺墓所(平成23年撮影) 中央に松井忠次墓塔、左側に顕彰碑、右側に東条松平氏墓塔




「御由緒」法応寺旧蔵/西尾市教育委員会所蔵

「御廟御普請請負書上帳」法応寺旧蔵/西尾市教育委員会所蔵

半鐘 駮馬町内会所蔵





関連イベント

■展示解説
 日時/6月24日(土)・8月5日(土)午後1時30分~(約1時間)
    ※内容は各回ともに同じ。
 場所/企画展示室
 ※予約不要

■講演会「今川・徳川に認められた勇将・松井忠次の原点」
 講師/大石泰史氏(静岡市文化財保護審議会委員・NHK大河ドラマ「どうする家康」古文書考証)
 日時/7月15日(土)午後1時30分~午後3時
 場所/西尾コンベンションホール 大ホール(名鉄西尾駅西口)
 定員/300名(要予約)
 料金/無料
 申込/6月1日(木)から開始。あいち電子申請または往復はがきでの申込
        ・あいち電子申請(ネット申込)はこちらから
        ・往復はがきに必要事項を記入し、〒445-0847 愛知県西尾市亀沢町480 西尾市岩瀬文庫「講演会」係まで申込
         【往信】ウラに申込者の氏名・住所電話番号 ※1枚につき1名まで
         【復信】自分の住所・氏名をオモテ書きに明記(ウラは白紙のまま)
 申込締切/7月2日(日)必着
 ※申込多数の場合は抽選となります。
 ※定員に満たない場合は7月4日(火)から電話で申込受付

■「家康を支えた武将・松井忠次」シンポジウム
 日時/9月2日(土)午後1時~午後5時
   第一部 講演会
    「松井忠次の生涯」 小林 輝久彦 氏(新編西尾市史調査員)
    「徳川家臣団の中の松井忠次」 小川 雄 氏(日本大学准教授)
    「松平元康と松井忠次―川越に伝来した松井松平家資料からみた元康と忠次―」 井口 信久 氏(川越市文化財保護課主幹・学芸員)
   第二部 パネルディスカッション「松井忠次の実像」
 場所/西尾コンベンションホール 大ホール(名鉄西尾駅西口)
 定員/300名(要予約)
 料金/無料
 申込/7月15日(土)から受付開始。あいち電子申請または往復はがきでの申込
        ・あいち電子申請(ネット申込)はこちらから
        ・往復はがきに必要事項を記入し、〒445-0847 愛知県西尾市亀沢町480 西尾市岩瀬文庫「シンポジウム」係まで申込
         【往信】ウラに申込者の氏名・住所電話番号 ※1枚につき1名まで
         【復信】自分の住所・氏名をオモテ書きに明記(ウラは白紙のまま)
 申込締切/8月13日(日)必着
 ※申込多数の場合は抽選となります。
 ※定員に満たない場合は8月15日(火)から電話で申込受付

フォトスポット

西尾市出身の漫画家・すずき孔氏作画による松井忠次のフォトスポットが館内各所に設置!
来場の記念にどうぞ。
画像の転載は禁止です。


すずき孔氏作画 万字の鎗を持つ忠次




すずき孔氏作画 松井忠次

すずき孔氏作画 東条甚太郎家忠




すずき孔氏作画松井忠次らをあしらったグッズも販売中です。ぜひお求めください。


本企画展図録のご紹介

A4 80ページ 415g 1,000円
論考収載
巻頭論考「松井忠次の生涯」小林輝久彦氏(新編西尾市史調査員)
論考➀「今川時代の東条松平氏と松井忠次」大石泰史氏(静岡市文化財保護審議会委員・NHK大河ドラマ「どうする家康」古文書考証)
論考②「武田氏との十四年戦争における東条松平氏の活躍」小川雄氏(日本大学准教授)
論考③「松平元康と松井忠次―川越に伝来した松井松平家資料からみた元康と忠次―」井口信久氏(川越市文化財保護課主幹・学芸員)
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