西尾の古代・中世
吉良荘と吉良氏の光芒
本展示では、西尾市の古代・中世史をよく特徴づけるテーマとして、吉良荘と吉良氏を取り上げます。吉良荘は市域の広範囲をおおう形で12世紀までに成立しました。当地産出の鉱物でキラキラ輝く雲母(別名キララ)が名の由来といわれます。一方足利一族の名門吉良氏は、荘園の地頭として鎌倉時代前期に登場します。約三百年この地域を支配し16世紀後半に没落しました。はるかなる古代・中世の西尾を身近に感じていただければ幸いです。
- 会期
- 2020年10月03日(土)〜2021年1月31日(日)
- 料金
- 入場無料
- チラシはこちら(1.5MB)。
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- 展示替え
- 総出品数約100点。
- 以下の期間で展示替えを行う。
- A:10/3(土)~10/31(土)、B:11/1(日)~11/18(水)
- C:11/20(金)~12/25(金)、D:12/26(土)~1/31(日)
- 関連イベント
- 展示解説はこちら。
章立て
1章 西尾の古代 ―吉良荘 誕生―
2章 実相寺と吉良氏 ―三河禅宗文化の中心―
3章 吉良と今川
4章 戦国乱世 ―吉良氏の衰退と「西尾」の誕生―
5章 中世の西尾に生きた人々
1章 西尾の古代 ―吉良荘 誕生―
幡豆(はず)郡域は広い平地と河川に加え海・山・島があり生産物が豊かで多彩です。古代より様々な人々の活動が知られます。12世紀までに郡の広範囲が摂関家の荘園・吉良荘になりました。江戸時代でもこの地域が「吉良荘」だとの意識は根強く残りますが、その始まりはここにあります。本章では荘園誕生に至るまでの古代の資料を展示します。
2章 実相寺と吉良氏 ―三河禅宗文化の中心―
実相寺は鎌倉時代に東福寺の円爾(えんに)を開山として吉良満氏によって建てられた禅宗寺院です。広い寺域には古刹の風格があり、近辺は中世吉良荘の雰囲気が濃厚です。伝世遺物も少なくありません。本章では隆盛した南北朝時代の優品を中心に展示します。当地の中世禅宗文化の香りや吉良氏の足跡を身近に感じていただきます。
3章 吉良と今川
鎌倉前期、足利義氏は吉良荘の地頭職を得ました。同職は、息長氏(おさうじ)に譲られこの家の当主が吉良一門の「惣領(そうりょう)」として荘園現地を支配しました。惣領は庶子(しょし)に土地を与えましたが、庶子今川氏の由来は今川の地の分与によります。本章では足利一族の名門吉良氏と、今川氏の特徴がわかる資料を展示します。
4章 戦国乱世 ―吉良氏の衰退と「西尾」の誕生―
16世紀、この地域も戦国の様相を呈し支配者は、吉良、今川、徳川そして豊臣へと交替していきます。衰退しつつもわずかに命脈を保ってきた吉良氏は、永禄7年(1564)頃ついにこの地から没落しました。本章では、そうした乱世のありさまや、「西尾」が軍事的な有利さから吉良荘の中心となっていく様相を示す古文書を展示します。
5章 中世の西尾に生きた人々
西尾市域すなわち旧幡豆郡域には吉良荘以外の土地もあります。三河国衙(こくが)や伊勢神宮の領地に由来するところです。竜蔵院や国宝を有する金蓮寺など、古い由緒を持つ寺院も荘外にあります。本章では中世の西尾市域に生きた人々の足跡をたどります。吉良荘や吉良氏に関連がなくとも、この地域には様々な中世の遺物が伝わっている事を実感していただきます。
展示の見どころ
■吉良氏当主の文書この地域に伝来する吉良氏が出した文書(もんじょ)を可能な限り集め展示しました。
■実相寺の優品
当地の禅寺・実相寺には多くの中世遺物が伝わっています。三牌をはじめ工芸の優品をケースいっぱいに展示します。文字情報だけでなくモノをも通して、はるかなる中世を身近に感じられるでしょう。
■釈迦三尊像の胎内文書 ―吉良荘に生きた庶民―
多数の胎内文書をすべて展示します(展示替えあり)。600年以上も前、小紙片に様々な祈りをこめて像内に納められました。当地に生きた中世庶民の数少ない痕跡です(女性も多い)。信仰に対する切実さも合わせてご覧ください。
関連イベント
■展示解説展示資料をプロジェクターで映しながら解説します。
日時/10月31日(土)午後1時30分~(約40分間)
11月14日(土)午後1時30分~(約40分間)
※内容は各回ともに同じ。
場所/地階研修ホール
※要予約。
10月10日(土)午前9時より各回ともに予約受付開始
電話(市史編纂室0563-56-8711)または直接文庫1F事務所へ