宇治茶御用道中図景

うじちゃごようどうちゅうずけい111-1361冊 文化7(1810)年

 江戸時代、毎年新茶の季節になると幕府御用のお茶を、大行列を組んで江戸から宇治までとりに行きました。いわゆる「お茶壺道中」です。



 この資料は文化7(1810)年江戸城勤務の茶坊主・利倉盛庸が、茶壺の随行で宇治へ赴いた時の次第を記録したものです。将軍様用のお茶を詰めた茶壺の権威はすこぶる高く、大名でも道を譲らなければならないほどでした。粗相でもあれば、厳しいお咎めを受けるので、沿道の庶民にとっては誠に迷惑な行列でしたが、随行の役人たちもまた気苦労の絶えない旅でした。それゆえ著者も、後任者の手引き書になればと、道々の段取りや注意事項などをこと細かに書き残したのです。お茶壺道中一行が宇治を一歩でも出るまでは新茶の出荷は禁じられていました。お茶壺が去るとようやく、人々は安堵とともに、新茶の香りを楽しんだことでしょう。


小田原城下で一泊する時の図。茶壺を入城させるルート、警護や挨拶に出る役人の立ち位置や役職名が書き込まれている。