本草写生図

ほんぞうしゃせいず午ー811冊


筆者は紀州藩士で本草学者の坂本浩然(1800~53)で、天保4年(1833)7月の識語があります。イギリスの博物図鑑の銅版挿図から写したと思われる珍しい南国の動植物や鉱物、貝類、そして琉球の花の写生図を、絹地に岩絵の具という日本の伝統的な画法で描いた画帖です。
上は南国ニューギニアを中心に生息する風鳥(フウチョウ)の図です。18~19世紀のヨーロッパでは、風鳥は風を食べて生き、木にとまることなく飛びつづける不思議な鳥と考えられていました。当時、ヨーロッパでは美しい風鳥の剥製は鑑賞品として珍重されましたが、これらの剥製は脚が切り落とされていたため、こうした伝説が生まれたといいます。また、極彩色の美しい姿から楽園に住む鳥「極楽鳥」の名もあります。
この図譜の絵では鳥らしくない、虫のような奇妙な姿に描かれていますが、写真のない時代ですので、珍しい動植物の写生図は転写に転写を重ねてゆくため、こうしたズレが生じてしまうのです。
南の楽園にすむ美しい謎の生き物たち。日本、欧州を問わず当時の学者たちは大きな期待と驚きを胸に、この未知の世界を見つめていたことでしょう。

<参考>


山本溪山筆『禽品』(卯-17)の大通寺宝物「比翼鳥」の剥製の写生図。風鳥(比翼鳥)の剥製はしばしば江戸時代の日本にも舶載された。

同じく『禽品』の「苦魯(くろ)風鳥」。羽の色が黒いが、特徴的な長い尾羽が描かれる。脚が見えないのは、ヨーロッパの剥製同様に脚が切り取られているのだろうか。

『倭漢三才図会』(33-26) では「比翼鳥」と「風鳥」は別種とされる。ともに剥製が日本に舶載されていた。比翼鳥の挿絵は雌雄が並び、互いに一目一翼ずつ補い合って飛ぶ図。