〈天保四巳日記〉海獺談話図会

<てんぽうよんみにっき> かいだつばなしずえ19-631冊

 天保4(1833)年7月、尾張国熱田で時ならぬ騒動がもちあがりました。新田の堤が切れて海水が流入したところに、一頭の海獺(かいだつ)が迷い込んだのです。海獺はウミウソとも読み、アシカやオットセイなどの海獣の、本草学的な名前です。珍獣の出現に、堤防は見物人で押すな押すなの大騒ぎ、一人数十文のお金を取って海獺のそばまで漕ぎ出す小船商売まで現れました。また数日後には早くも名古屋の繁華街で海獺の土人形(フィギュア)が売り出されたり、ぬいぐるみや張り子の海獺を用いた大道芸人が現れたりと、それはもう大変なフィーバーとなります。果ては漁師に捕獲されて、木瀬取(きせどり/喫水の浅い小舟)で飼育され見世物となったこの海獺、本書の絵を見た限りではアゴヒゲアザラシのように見えます。そう、江戸時代の名古屋でも「タ●ちゃん騒動」があったんですね。


海獺見物の人々の狂騒

木瀬取に入れられた海獺

 本資料はその一連の騒動を歌月庵喜笑(小田切春江。尾張藩士で絵をよくした)が絵入りで詳細に記録したものの精密な写しです。巻末には刊行予定であったらしい「海獺之真図」と題された一枚絵が付されています。毛筋まで丁寧に描かれたこの写生図や、本文中にも随所にみられる体長や胴回りなどの詳細な計測値、動作や食餌などに関する記述からは、単なる珍獣騒ぎを超えた、明らかな観察眼を感じます。当時の日本は博物趣味と呼ばれる本草学ブームで、名古屋でも尾張藩の医学館で薬品会(博物展覧会)が催されて盛況を博したりしていました。自然界の様々なものに対する素朴で熱い好奇心に支えられ、江戸時代の人々と自然界とのおつきあいは、幸せで身近なものであったようです。


「海獺之真図(うみをそのしんず)」体長6尺5寸(約197㎝・体重30貫(約113㎏)、生きた魚を好み、大イビキで眠るという。


繁華街での“海獺”便乗商戦