岩瀬弥助と岩瀬文庫の歴史
創設者 岩瀬弥助
岩瀬弥助は、慶応3(1867)年10月6日、須田町の肥料商、岩瀬弥蔵の長男として誕生。幼名は吉太郎です。吉太郎が20歳の時、突然、本家の猪代治が亡くなったので、本家の山本屋へ養子に入りました。さらに猪代治の長女れいと結婚、四代目弥助を名乗りました(明治20年・1887年)。
明治30年代には西三河でも屈指の資産家になっていきました。明治31年、西尾町長に就任しましたが、わずか1年4か月余りで辞任し、その後は政治への関心をなくしました。一代で莫大な財を築く一方で、西尾鉄道を開通させたり、病院や学校の建設資金を寄附したりと、町づくりや地域の教育にも強い関心を寄せました。
岩瀬文庫のあゆみ
- 慶応3年(1867)
- 岩瀬弥助生まれる
- 明治36~37年頃
- 弥助、文庫の設立を構想
- 明治40年(1907)
- 岩瀬文庫建設工事着工
- 明治41年(1908)
- 開館(私立岩瀬文庫)
- 大正5~10年(1916〜1921)
- 施設拡充のため増改築、2代目書庫(現存)完成
- 大正15年(1926)
- 児童館(現存・現図書館おもちゃ館)完成
- 昭和5年(1930)
- 岩瀬弥助死去
- 昭和6年(1931)
- 財団法人化(財団法人岩瀬文庫)
- 昭和20年(1945)
- 三河地震により本館倒壊
- 昭和29年(1954)
- 西尾市が蔵書を買い取る
- 昭和30年(1955)
- 西尾市立図書館岩瀬文庫として再出発
- 平成6年(1994)
- 教育委員会の文化財担当課へ移管(西尾市岩瀬文庫)
- 平成11年(1998)
- 旧書庫・児童館が国の登録有形文化財に
- 平成15年(2003)
- 古書ミュージアムとしてリニューアルオープン
- 平成19年(2007)
- 博物館登録
- 平成20年(2008)
- 創立100周年
私立岩瀬文庫の創設
文庫設立の構想を持ち始めたのは、明治36年の頃と推定されています。一説では、数え年42歳の男の厄落としのため、私立図書館を設立することで社会に利益を還元し、地域文化の向上に役立ちたい、と思い立ったことが動機だといわれています。
明治40年(1907年)の弥助の誕生日10月6日を文庫の完成予定としましたが工事が遅れ、明治41年5月6日、ついに私立図書館・岩瀬文庫が開館しました。講堂や音楽堂、婦人のための閲覧室や児童館等を備えた西尾の文化の拠点的存在となったのです。
全国の書店や古書店から蒐集した蔵書は8万冊余り、国の重要文化財「後奈良天皇宸翰般若心経」をはじめ、その多くが江戸時代以前の古典籍です。
当初から図書館を目的として選書したため、文学・歴史・宗教・自然科学・朝鮮本・唐本など、あらゆる分野の良書が全国の書店・古書店から集められました。これらの図書は、一点一点、弥助自らと司書・高木習吉によって目を通され、整理カードや幾種類もの台帳、目録が作成され、的確に管理されました 。このため、岩瀬文庫の蔵書には重複するものが殆どなく、またどの分野でも満遍なく良書を収集することができたのです。そして、蔵書は、全国から訪れる研究者から地元の女学生まで、あらゆる人に無償で公開されました。
また、大正6(1917)年から文庫の一層の充実をはかるための増設工事がおこなわれました。現在も残る煉瓦造りの書庫と児童館(現おもちゃ館)はこの当時のものです。
財団法人岩瀬文庫
昭和5年(1930)に岩瀬弥助が亡くなると、彼の遺言によって文庫は財団法人化されます。この財団法人時代に、現在も使用している『岩瀬文庫図書目録』が刊行されたり新しい図書原簿が作成されたりと、今に続く文庫のシステムが確立されました。
岩瀬文庫の危機
しかし、昭和12年(1937)の法人基金の国家への献金、昭和20年の三河地震による建物の被害によって図書館及び財団法人としての運営が困難になりました。
農地解放、税制改革により岩瀬家と岩瀬文庫は経済的苦境に陥り、建物の修復もままならず、ついには蔵書の売却が検討されましたが、岩瀬文庫の窮状や蔵書の散逸を憂慮した市民によって様々な運動が展開されました。その努力が実り、文庫の土地と建物は財団から市へ寄贈、文庫の蔵書は市が一括購入することとなりました。こうして昭和30年、岩瀬文庫は西尾市立図書館岩瀬文庫として新たにスタートしました。
さらに平成15年4月には蔵書の文化財的価値をより活かすため、「古書の博物館」としてリニューアルオープン、平成20年には創立100周年を迎えました。
岩瀬弥助という本を愛する一市民によって作られた文庫は、市民の支えによってさまざまな困難を乗り越え、百有余年後の現在も設立当初と同じ場所に存続しています。