飢饉再考
飢饉は、過ぎ去った大昔の、あるいはどこかの遠い国だけの悲劇でしょうか。
昨今の異常気象や頻発する自然災害、わが国の食糧自給率の低さ…
“明日は我が身”かもしれない飢饉について、岩瀬文庫の資料をとおして今一度考えてみませんか。
- 会期
- 2017年11月18日(土)〜2018年1月21日(日)
- 休館日
- 祝日を除く月曜日・第3木曜日・12月29日(金)~1月3日(水)
- 展示解説
- 12月9日(土)・1月20日(土)いずれも午後1時30分~
- 古文書講座
- 12月24日(日)①午前10時30分~12時 ②午後1時30分~3時
- 場所:地階研修ホール
- 定員:30名
- ※要予約。12月9日(土)午前9時より電話または直接文庫へ。
- 特別講座
- 12月14日(木) 午前11時~
- 吉良義央公315回忌・吉良義周公追慕
- 「吉良公の子供、孫たちの運命」
- 上杉邦憲氏(上杉家第17代当主)
- 連続講座
- 史料から歴史の謎を読み解く2017
- 〔科研費・基盤研究(S)「天皇家・公家文庫収蔵史料の高度利用化と日本目録学の進展」研究グループ共催〕
- 第1回「古代三河と大嘗祭」
- 11月26日(日)午後1時~
- 荒木敏夫氏(専修大学名誉教授)
- 第2回「地図から考える三河・尾張の城下町」
- 平成30年1月28日(日)午後1時~
- 山村亜希氏(京都大学准教授)
飢饉のありさま
飢えに苛まれ、迫り来る死…古来から日本人はたびたび飢饉にみまわれ、その悲惨なありさまを記録してきました。からくも飢饉を生き延びた人々によって書き残されたこれらの記録には、「この悲劇を教訓とし、後世の人々がどうか再びこのような苦しみを味わうことのないように」という悲痛な祈りが込められています。
救恤 ~救いの手~
「救恤」とは救い恵むこと、すなわち困窮者へ物資を支援し、救いの手を差し伸べることです。凶作時、幕府や諸藩では米の安売り、金銭や食糧の配給などの施策により餓死者の発生を防ぐ手段を講じました。しかしそれだけではとても足りず、民間の有志による寄付や炊き出しなどの救援活動がこれを支えました。
稀にみる凶作で、近隣諸国はすでに餓死した者も多いと聞く。しかし我が国では一同の努力によって、これまで一人の餓死者も出していない。とはいえ穀物不足は必定で、今後は役人や家臣の飯料は合積(1日あたり男5合、女3合、6~4歳児2合5勺、3歳以下2合の食い扶持計算)で渡す。情けないことだが人命には替えられない。また困窮者を救う配給米のため江戸や上方へも買い入れの交渉をしたが、どこも凶作で、入手は困難、今ある分で細々とでも凌ぐしかない。在郷を丹念に廻り、村方にも理解を求めた。2月になり田起こしや植え付けが始まる時分、百姓は力仕事なので体力を衰えさせてはならない。穀物のほかに鯡(にしん)の塩漬けなどを人数に応じて配給し、励ました。
天保の飢饉の際、京における窮民救恤の様子を描いた絵巻。都下の同志が三条大橋南の川原に「教諭所救小屋」数棟を建て、流民に衣食を与え、病者には治療を施し、死者を埋葬した。のちに原図は前橋積善会に寄付され、複製頒布の周易は窮民施療費用に充てられた。
飢饉に備える
何年ごとかに巡ってくる凶作、飢饉に備え、平時からの対策や心得を記した救荒書が江戸時代を通じて出版されました。ただ精神論や質素倹約を説くばかりではなく、商業主義に走ることへの戒め、食糧事情や衛生環境が悪化した際の疾病対策、収穫量を上げるための技術改革、気候変動や社会経済の変動への注視など、現代においても変わらない問題に真摯に取り組まれています。
命をつなぐ~救荒食~
飢饉の時は餓えに迫られて普段は口にしないような物まで食べ、食中毒や代謝障害により却って命を落とすことも少なくなかったため、代用食となり得るものや調理の注意を教える救荒食解説書が数多く書かれました。また乏しい米をできるだけ節約することが推奨され、様々な混ぜ物をした飯や雑炊のレシピも考案されました。
世情
飢饉にともなう様々な事象の記述は実録や対策書にとどまらず、伝記や噂話、個人の随筆、時には娯楽的読み物にまで書き残されました。それだけ世情に与えたインパクトが強烈なできごとであったという証しでしょう。これらはまた、人々の飢饉に対する思いを、別の角度から照射します。
むすびにかえて ~先人からのメッセージ~
一生の間に憂いとなることは大変多いが、飢饉にまさる大難はなかろう。しかしこのような太平の御世に生まれ、おかげで不足なく暮らす人々はこのことに気付かず、「それは昔あったことで今は起こらない」とタカをくくり、何一つ用心もせずうかうかと年月を過ごす。これは大きな誤りである。飢饉の大難はいつ来るとも知れない。だから常に食事をする時は飽食を慎み、ありがたいと思う気持ちを忘れるべからず。(『日吾土乃古固呂得(ひごとのこころえ)』より)