2017年11月18日(土)〜2018年1月21日(日)

飢饉再考

 飢饉は、過ぎ去った大昔の、あるいはどこかの遠い国だけの悲劇でしょうか。
昨今の異常気象や頻発する自然災害、わが国の食糧自給率の低さ…
“明日は我が身”かもしれない飢饉について、岩瀬文庫の資料をとおして今一度考えてみませんか。

会期
2017年11月18日(土)〜2018年1月21日(日)
休館日
祝日を除く月曜日・第3木曜日・12月29日(金)~1月3日(水)
展示解説
12月9日(土)・1月20日(土)いずれも午後1時30分~
古文書講座
12月24日(日)①午前10時30分~12時 ②午後1時30分~3時
場所:地階研修ホール
定員:30名
※要予約。12月9日(土)午前9時より電話または直接文庫へ。
特別講座
12月14日(木) 午前11時~
吉良義央公315回忌・吉良義周公追慕
「吉良公の子供、孫たちの運命」
上杉邦憲氏(上杉家第17代当主)
連続講座
史料から歴史の謎を読み解く2017
〔科研費・基盤研究(S)「天皇家・公家文庫収蔵史料の高度利用化と日本目録学の進展」研究グループ共催〕
第1回「古代三河と大嘗祭」
11月26日(日)午後1時~
荒木敏夫氏(専修大学名誉教授)
第2回「地図から考える三河・尾張の城下町」
平成30年1月28日(日)午後1時~
山村亜希氏(京都大学准教授)

飢饉のありさま

 飢えに苛まれ、迫り来る死…古来から日本人はたびたび飢饉にみまわれ、その悲惨なありさまを記録してきました。からくも飢饉を生き延びた人々によって書き残されたこれらの記録には、「この悲劇を教訓とし、後世の人々がどうか再びこのような苦しみを味わうことのないように」という悲痛な祈りが込められています。


『凶荒図録』(5-55) 享保・天明・天保の飢饉の惨状を平易な文章と挿絵で記し、平時の備えの重要さを説く。

『きゝん用心』(152-165) 飢饉の惨状と日々の備えの大切さを説く。著者は下野国黒羽藩家老。農政に心を砕き、天明3年の凶作にも餓死者を出さなかった。




『日吾土乃古固呂得』(101-64) 飢饉に対する心得を説く啓蒙書。天明の飢饉の惨状や米価の高騰を詳細に描写して警告し、食物の備蓄を勧め、救荒食の製法を記す。

「三河飢饉略記」(168-82)(『三河に関する雑記 12/18』)天明4・6・7年に起こった飢饉の惨状を記し、その後長らく続く豊作に慣れ危機感を失った人々に警告を発する。まさに本書が書かれた直後、天保の飢饉が始まった。




救恤 ~救いの手~

「救恤」とは救い恵むこと、すなわち困窮者へ物資を支援し、救いの手を差し伸べることです。凶作時、幕府や諸藩では米の安売り、金銭や食糧の配給などの施策により餓死者の発生を防ぐ手段を講じました。しかしそれだけではとても足りず、民間の有志による寄付や炊き出しなどの救援活動がこれを支えました。


『大泉救民録』(96-76) 天保4年から5年にかけての庄内地方の天災と飢饉、藩の対策の記録。

 稀にみる凶作で、近隣諸国はすでに餓死した者も多いと聞く。しかし我が国では一同の努力によって、これまで一人の餓死者も出していない。とはいえ穀物不足は必定で、今後は役人や家臣の飯料は合積(1日あたり男5合、女3合、6~4歳児2合5勺、3歳以下2合の食い扶持計算)で渡す。情けないことだが人命には替えられない。また困窮者を救う配給米のため江戸や上方へも買い入れの交渉をしたが、どこも凶作で、入手は困難、今ある分で細々とでも凌ぐしかない。在郷を丹念に廻り、村方にも理解を求めた。2月になり田起こしや植え付けが始まる時分、百姓は力仕事なので体力を衰えさせてはならない。穀物のほかに鯡(にしん)の塩漬けなどを人数に応じて配給し、励ました。




『荒歳流民救恤図』(丑-9) 

 天保の飢饉の際、京における窮民救恤の様子を描いた絵巻。都下の同志が三条大橋南の川原に「教諭所救小屋」数棟を建て、流民に衣食を与え、病者には治療を施し、死者を埋葬した。のちに原図は前橋積善会に寄付され、複製頒布の周易は窮民施療費用に充てられた。




飢饉に備える

何年ごとかに巡ってくる凶作、飢饉に備え、平時からの対策や心得を記した救荒書が江戸時代を通じて出版されました。ただ精神論や質素倹約を説くばかりではなく、商業主義に走ることへの戒め、食糧事情や衛生環境が悪化した際の疾病対策、収穫量を上げるための技術改革、気候変動や社会経済の変動への注視など、現代においても変わらない問題に真摯に取り組まれています。


『饑年要録』(102-135) 天文14(1545)~天保4(1833)までの過去の飢饉の概略や惨状をまとめ、救荒対策を記す教訓書。

『救民薬方』(136-6) 飢饉時は栄養不足や遺骸の放置のためしばしば疫病が流行し、また野草食などから食中毒をおこし死ぬ者も多かった。それらを救うための薬方や食事療法、治療法を記す。享保の飢饉時に幕命で刊行されたものを、天保の飢饉に際し再版した施印(無料配布)本。




命をつなぐ~救荒食~

飢饉の時は餓えに迫られて普段は口にしないような物まで食べ、食中毒や代謝障害により却って命を落とすことも少なくなかったため、代用食となり得るものや調理の注意を教える救荒食解説書が数多く書かれました。また乏しい米をできるだけ節約することが推奨され、様々な混ぜ物をした飯や雑炊のレシピも考案されました。


『備荒草木図』(168-126) 陸奥の飢饉の惨状を見聞に及んで刊行された救荒食となる植物の絵図集。飢民が有毒植物を採食し、却って命を落とすことを防ぐため、食糧に充てるべき草木を選び、図と調理法を添えて掲載。

『救荒草品図譜』(57-30) 代用食となる植物の木版多色刷り図譜。前年の凶作の経験から、春先の餓死者を出さぬため、津藩学者・平松楽斎の研究した救荒植物のうち身近な薬草を図示した印施本。




『農業花暦』(寅-94) 農作業の図入り便覧書。著者はシーボルトに学んだ蘭学医で、西洋科学の知識に基づいた肥料や土壌改良などを取り入れる。また「救荒の部」では澱粉質の摂取にこだわり、澱粉を含む植物の紹介および抽出の仕方を解説する。




世情

飢饉にともなう様々な事象の記述は実録や対策書にとどまらず、伝記や噂話、個人の随筆、時には娯楽的読み物にまで書き残されました。それだけ世情に与えたインパクトが強烈なできごとであったという証しでしょう。これらはまた、人々の飢饉に対する思いを、別の角度から照射します。


『土佐義人伝記資料』(99-43) 土佐国の義人、岡村十兵衛・一木権兵衛を顕彰した伝記集。藩士岡村十兵衛は貞享元年の飢饉の折に独断で藩の倉を開いて窮民を救い、責任をとって切腹した。一木権兵衛は室津港普請の難工事のため命を海神に捧げ、自殺した。

『太平間珍志』(98-9) 江戸における様々な災害や事件を集めた雑記録。巻2に天明の飢饉時の見聞を記す。打ち壊しや妻子置き去りの頻発、奥州の餓死者の惨状、唐なす餅、米価高騰・魚下値など。




むすびにかえて  ~先人からのメッセージ~

一生の間に憂いとなることは大変多いが、飢饉にまさる大難はなかろう。しかしこのような太平の御世に生まれ、おかげで不足なく暮らす人はこのことに気付かず、「それは昔あったことで今は起こらない」とたかをくくり、何一つ用心もせずうかうかと年月を過ごすことは大きな誤りである。飢饉の大難はいつ来るとも知れない。だから常に食事をする時は飽食を慎み、ありがたいと思う気持ちを忘れるべからず。(『日吾土乃古固呂得(ひごとのこころえ)』より)


本企画展図録のご紹介

A4 16ページ 110g 300円
図録のご購入方法は刊行物・グッズ/図録のページをご覧ください