岩瀬文庫の蔵書は、そのほとんどが江戸時代以前の和本で、その内容は多岐にわたります。個人のコレクションによる文庫の場合、その人の専門性や好みにより特定の分野に偏りがちですが、岩瀬弥助は当初から図書館をつくることを意図して古書店から購入したため、あらゆる分野の本がそろいました。その中でも歴史、文学、本草(ほんぞう/薬草学から始まったためこの名がありますが、後にそれ以外の植物や動物・魚介類・鉱物なども含む博物学に発展しました)、宗教(仏教・神道)関係に優れたものが多いと言われています。
 では蔵書のごく一部をご紹介します。

指定文化財

後奈良天皇宸翰般若心経 (辰―78) 重要文化財 1巻



天文9年(1540年)、後奈良天皇が国家の平安を祈念し全国の一宮へ奉納した般若心経のうち三河国の分。宸翰とは天皇の直筆のこと。

紺紙金字長寿王経 (辰―86) 愛知県指定文化財 1巻



巻首に「神護寺」の朱印が捺されており、神護寺一切経の中のひとつと推察されます。

安芸白井家文書(大内家文書) (午―31)愛知県指定文化財 1巻



明応4年(1495年)から天文9年(1540年)の、18通の武家文書。安芸国(広島県)で武田氏、大内氏、毛利氏らに属した白井家の旧蔵になる3巻の内の1巻です。


柳原文庫本



京都の公家文庫で、柳原伯爵家の旧蔵本約1900点です。その中心となるのは十九代の正二位権大納言紀光(1746~1777)が、公家側から見た編年史書『続史愚抄』の編纂のために蒐集したり書写した資料群です。日記や政(まつりごと)など、公家の特色ある図書を多く含みます。

平安読書室旧蔵本と本草書

岩瀬文庫所蔵の1,000冊を超える本草書の大半を占めるのが、京都の本草学者・山本亡羊(1778~1859)創立の研究所、平安読書室の旧蔵本です。亡羊は医業を営むかたわら本草学に精進し、公卿や諸侯の招聘に応じて講演をしたことも度々であったと伝えられます。また文政9年(1826)には京都で江戸参府途中のシーボルトに面会しています。
平安読書室旧蔵本以外にも、高木春山自筆の『本草図説』195冊、岩崎潅園の『本草図譜』14冊、金沢文庫蔵印の『政和本草』11冊など、優れた本草書があります。

貴志文庫本



幕末に駿府町奉行をつとめた幕臣・貴志孫太夫(1800~1857)の旧蔵本。孫太夫は絵を得意とし、本草・風俗・古器物・有職故実・医学などなど、さまざまな分野について、自らの写生や模写による資料を遺しました。中には西洋で出版された植物図譜の筆写や、著名な解剖図の精密な写しである『解剖存真図』など、異彩を放つ資料も多く見られます。巻子本が多いのも特徴です。

寺津八幡書庫本・羽田文庫本

寺津八幡書庫本は西尾が生んだ天保期の国学者、渡辺政香(わたなべまさか 1776~1840)の旧蔵本。政香のライフワークである三河国の地誌『三河志』編纂の基礎資料として集めた多数の手稿本や三河史料は、当地域を研究する上で大変有用です。また寺津八幡社(西尾市寺津町)の神官でもあった政香は、神道や仏教等の宗教関係書も質の高いものをそろえています。
羽田文庫本は同じく社家の旧蔵書で、渡辺政香と交友のあった羽田八幡宮(豊橋市)の神官、羽田野敬雄の創設した「羽田文庫」本の一部です。

五山版

鎌倉~室町時代に京都・鎌倉の五山をはじめとする禅宗寺院や禅僧によって出版された古版本です。高僧の語録・年譜や禅宗史、公案集、漢詩集など、100冊を越えます。

奈良絵本



優美な書体で書かれた『住吉物語』『鉢かつぎ姫』などの物語や御伽草子に極彩色の挿絵を添え、金箔などで美しく装丁した絵本です。奈良興福寺の絵仏師が書いたという俗説からこの名がつきました。

絵図類

全国各地の国絵図や町絵図、城の縄張り図、道中絵巻、名所図絵など。子供の頃から地図を眺めるのが大好きだったという岩瀬弥助の趣味からか、数も種類も豊富です。

韓本・唐本



李朝の両班(ヤンバン)・金世鈞の旧蔵書をはじめとする朝鮮本約1,600冊と中国の宋・明・清代の刊本です。岩瀬弥助は上海の書店からも直接本を買い付けていました。

 このほかにも、古写本や古活字本、名家の稿本(自筆本)や書入本などの稀覯本(きこうぼん/珍しい本)が多く見られます。古書店を通じて多額の本を継続的に購入していた弥助のもとには、こうした貴書珍書の売立て情報が多く寄せられ、また弥助もこれらを積極的に購入しました。上記のコレクションの中には、旧管理者が散逸を免れるため、岩瀬文庫へ一括購入を申し入れたものもあります。
 しかし稀覯本ばかりが岩瀬文庫の蔵書の価値ではありません。例えば岩瀬文庫に多数所蔵されている『武鑑』(大名の氏名や役職、紋などの名鑑)、『吉原細見』(廓の屋号やそこに属する花魁などの名を列記したガイドブック)、『売立目録』(オークションのカタログ)などは、実用性の高いものですので本来は目的の用事が済めば捨てられる種類の本ですが、これらは現代の研究者にとって極めて重要な資料となっています。また岩瀬弥助は名古屋の書店から度々新刊書を取り寄せていました。これらの本は明治・大正・昭和初期の世相や出版事情を知る手掛かりになります。さらに、近代に入り印刷や製紙技術の躍進により本は貴重品から消耗品へ変って行ったため、当時はありふれた本であっても現在では見つけることの難しい本もたくさんあります。
 岩瀬文庫にはそのような雑誌や初版本がひっそりと眠っています。岩瀬文庫の魅力は、その雑ぱくさにあるとも言えます。